2007年11月19日

WEB社会について少々。 この記事をはてなブックマークに登録

インターネットを使うようになって
まだ5年程度しか経っていませんが、
グーグルやmixi、セカンドライフなどの
ネット世界で次々と誕生する新しい現象に興味を持ち、
主にコミュニケーションとしての側面からですが、
いろいろと考えてきました。

もちろんプログラミングやパソコンのソフト自体には
ほとんど無知であり、実際に何が起きているのかを理解できている
とは思いませんが、インターネットとパソコンの進化によって
起きている現象自体についてはITあるいはICT関係に勤めている
人間でなくても非常に重要な変化が起きていると思うので
考えずにはいられません。


僕が最初にインターネットに興味を持ったきっかけは
糸井重里著の『インターネット的』(PHP新書)でした。

ここに書いてある概念やアイデアは非常に面白いものが
多く、またある意味本質を突いているなと感心しました。
インターネットとインターネット的という言葉の使い分けを
前者は自動車、後者は自動車の普及によって起こる社会的な変化、
つまりモータリゼーションのように考えると分かりやすいと
しています。

本書ではインターネット的の特徴として大きく
3つのことが挙げられているのですが、
僕が特に面白いと思ったのがフラットと言う考えです。

これはインターネット上でのコミュニケーションは、
向こうの相手が「見えない」コミュニケーションであり、
そこでは誰もが対等で、つまりフラットな関係にあるということです。
それは匿名性というものを担保にしているのですが、
そこでは極端に言えば、発言者のアイデア、思考のみがリアルなもの
として存在する世界だと思います。

本来コミュニケーションとはその人の年齢や性別などの外見、
社会的立場などのバックグランドなしには成立しません。
しかしインターネット上でのコミュニケーションではそれらが
現実での対面コミュニケーションと比べて情報の質的にも信用性が
低く、どうしても相手の意見、思考に重点が行くような気がします。
(実際にはそうでもないのかもしれませんが、突き詰めて考えれば
嘘をつくことは誰にでも可能だし、キーボードで打ち込む言葉のみが
信用を築くことを可能とするのではないでしょうか。)

これはいきなりイチローが掲示板に名前を書いても
誰も信用しないことでも分かりますね(笑)

その意味で、ネットコミュニケーションはface to faceでは無く、
idea to idea、あるいは少しくさいかもしれませんがheart to heartの
コミュニケーションであると言えるかもしれません。
それはコミュニケーションを今まで以上に多角的、多様性のあるものに
するでしょう。


そのような事を考えたりしているのですが、
コミュニケーションだけでなく、その他の側面においても
「インターネット的」な世界がもたらす社会的な変化にこれからも
注目したいと思うようになりました。


かなり前置きが長くなりましたが、今回のエントリを書く
きっかけとなった言葉があります。

CNET Japanの江島健太郎氏の「ニッポンIT業界絶望論」より。
情報という財の新しさは、ほぼ限界費用ゼロで劣化なく無限に複製できるということだ。それは理論的にはシャノンが信号を量子化する前から正しいことが知られていたが、コンピュータとインターネットの急激な普及はとうとうそれを現実のものとした。

これを読んだとき、僕は漠然とした、
「ほぼ限界費用ゼロ…、確かに情報のコストは限りなく小さいからな」
程度の感想しか持たなかったのですが、
続く部分から更に一つ考えさせられることがありました。
情報は加速度的かつ累積的に供給が増えているが、人々が情報を消費する時間は定数で、死蔵される情報ばかりが増えていく。この定理は逆も真なりで、参入に巨額の資本を必要としない情報産業では超優秀な技術者のアテンション(集中力)だけが稀少資源で、それ以外の何物もない。その資源を使ってどれだけレバレッジの効く情報財を生み出せるかが唯一無二の戦略であるはずだ。

つまり、情報というものの価値は情報の多さと相まって
限りなくゼロに近づく、そしてその中でも価値のあるものを
探し出す、あるいは生み出すと言う行為をいかにするのか、と言うことです。
(これは梅田望夫氏の『ウェブ進化論』にもある通りです。)

さらに、ここでも
「超優秀な技術者のアテンション(集中力)だけが稀少資源」
というのには同様に閃きの匂いがするだけで、
どういうことなのかは具体的に分かりませんでした。

しかしこの記事に対してトラックバックで記事を書いている
方がいたのでそちらを読んでみると考えがはっきりとしました。


福井プログラマー生活向上委員会「SIer2.0とレバレッジド・プログラマー」より。
例えるなら、ここに名工と呼ばれる椅子職人が居たとします。
彼の作る椅子はまさに神の領域で、誰もがそれを欲しがります。
しかしその椅子は彼にしか作ることができず、彼が書いた設計図通りに作っても、同じものになりません。

その椅子一つ作るのに一ヶ月かかるとすると、彼は40年かかってもたった12×40=480個、480人しか満足させることができないのです(まぁ、その希少性こそが満足という職人もいるでしょうが)。それが天才椅子職人の限界です。

しかし、プログラマーは違うのです。
天才プログラマーが作ったソフトウェアは、コストほぼゼロで無限にコピーできます。そしてネットの力により、配信コストもほぼゼロです。
彼一人で、世界中の顧客を満足させることができるのです。
これが「レバレッジ(てこ)」ということです。

(中略)

ネットが今、世界を変えるとまで言われている最大の理由は「情報はコピーしても減らない」という点に尽きます。まさにこれこそが、物理的な「複製コスト」という制約に縛られてきたこれまでの世の中と決定的に違う点です。

そもそも先に引用した文章では、クライアントから受注した
注文に対してその要望通りのソフトを作ると言う仕事(SIerというらしい。)が、
情報財の特質(ほぼ限界費用ゼロで複製可)
を十分に活かしきれていないのではないかというのが江島氏が
仕事をしていく上で感じた疑問です。

情報財の特質を活かせていないということは従来の財生産と同じで
あるということです。これを上の文章では椅子職人という例えで
分かりやすく説明しています。


これによって分かるのが、
WEB社会ではいかに超優秀なプログラマー(のアテンション)が
ソフトフェアを生み出し、それを世の中へと広めていくのかというのが
問題だということです。

しかしここでは広める方法、つまりレバレッジについては触れません。

また、先に引用した部分におけるアテンションに戻ると、
もともとこのアテンションというのは、文脈的には
「注意、関心」という意味がとれるのですが、ここでは「(集中力)」と
書かれてあり、ある意味掛詞のようになっています。
「注意、関心」としてのアテンションは、
いかに無限にある情報の中から、人々の関心をある情報へと向かせるか
という意味で考えられます。
おそらく彼は、この後者としてのアテンションは説明しなくても
分かるだろうということで、このアテンションと言う言葉に別の意味を
加え話を展開させていったということですね。なかなか上手いです。


僕にとってはなかなか想像しにくいことではあるのですが、
つまりソフトウェアをプログラミングする能力が99の人が
1000人いようとも、100の能力がある人一人には敵わないという事です。
性能が99のソフトウェアが1000個出来るよりは、
100のソフトウェアをコピーして1000個にすれば良いわけですから。
それにかかるコストはほぼゼロな訳です。


ではこの現実をビジネスにどう組み込むかということが問題です。
これについてあまり詳しく言うことが出来ないのですが、今後どのような方針が
採られるべきなのかということを少しだけ考えたいと思います。

コピーすることがコストゼロで出来る訳ですから、
グーグルなどの例を見ても無料で最大の機能を公開し、シェアを限りなく広げ、
その上で広告事業を展開していくというのが一つのやりかたです。
もしそのソフトの性能が最も優れているのであれば、理論的にはシェアも一番に
なれる訳です。イメージとしては99の性能のソフトを100の性能のソフトが
全て上書きしていくという感じでしょうか。

グーグルでは限られた小数の超天才プログラマー達が少数精鋭で開発を進めている
と聞きます。「群衆の叡智」というのとはかなり違うような気もしますが、
この概念もつまりは群衆が集まる中で価値のある情報が蓄積されて一人
の優秀な頭脳を勝るということであり、それは少数の優秀な人物の
コラボレーションでも十分なのです。むしろ「群衆の叡智」というピラミッドの
上辺だけをすくい取ったということでもあるのでしょう。


ではその情報の特質だけに注目した場合、つまり上の例えに従うならば、
オーダーメイドの椅子を注文する人はどうすれば良いのか、そして
ここに優秀な人物は必要無いのかという疑問が出てきます。

これについては僕もよく分からないのですが、イメージとしてはこうです。
超優秀なプログラマーが根本となるシステムを開発する。
そのシステムに即して、それよりも劣っている(不適切な表現かもしれません)
プログラマーなどがそれをそれぞれのユーザー用にカスタマイズする
という感じです。
これにはオープンソースが活用できると思います。

Firefoxのユーザーが追加機能をユーザーの要望に合わせて作ったり
していくことなどの延長でソフトウェアについて考えられるなら、
このような流れが可能なのではないでしょうか。
(そんなに簡単にはいかないかもしれません
。)


ここまで書いてみて非常にややこしくなってしまったと思います。
話に一貫性が無いと言うか。
しかしとりあえず発信してみるというのもブログの利点ではあるので、
投稿してみて、これからさらに考えてみようと思います。

アイデアとしてナンセンスだという批判には甘んじて受けますが、
出来ればどこに対する理解が甘いかということや、分かりにくい部分が
あればご指摘願います。
続きを読む
posted by Jack at 18:03 | Comment(2) | TrackBack(0) | インターネット | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2007年11月08日

裏サイトや掲示板について思うこと〜ネット社会での人格とは〜 この記事をはてなブックマークに登録

人格と言葉の意味について考えてみようと思います。

普段意識することは無いかもしれませんが、
我々は社会、他人との触れ合いを通して自分に対するイメージ
を築き上げています。他人からの評判なども含めて、自分の人格が形成されていくのです。
この人格というのは、アイデンティティと言い換えても良いのかもしれません。

ネット社会でも、もちろん人格を築くことが可能です。

mixiなどでは、既に自らの普段の友達との交流の延長として機能している場合が多いです。
その場合は実生活での人格がそのままネット上での人格になりますね。

しかしそうではない場合、ネット上のほかの人々との交流の中で
自分がどういう存在なのかを伝えながら人格を築くことになります。

そのネット上での人格は実生活とほぼ同じであることもありますし、
全く異なることも可能です。
しかし、どちらにせよそこにアイデンティティ、つまり自分はこういう人間なのだ
という思いが存在することには変わりありません。

その人格は個性でもあるので、容易に崩せるものではありませんし、
そこではその人格としての振る舞いが要求されます。ですからその人格から
発せられる言葉は非常に重いものです。この「重さ」は日常生活で友達に発する
言葉と同じ程度だと言えるでしょう。

この言葉の「重さ」が実はネット上での発言を考える上で非常に大切になってくると思います。

もし人格が存在しないまま、つまり無人格のままに書き込むことが出来る場合、
その発言には責任が伴いません。失うものはないというのもありますが、
発言している自分は何者でもない訳ですから、間単に悪口を言うことが出来るし、
どんな蛮行でも可能となるのです。


またちょこっと金八先生に触れると、
第一話では、裏サイトについて、言葉の重みが無いというのを
指摘しています。確かにそのとおりなのかもしれません。


以前は匿名性自体が問題だと思っていたのですが、
どうやら人格、アイデンティティの問題が根本にあるのだと
思うようになってきました。

金八先生について感想を書いたことがあるので、
旧ブログより。
金八先生 第一話「ギラリと光るダイヤのような日!」

金八先生 第二話「赤い私服の転校生」
posted by Jack at 23:28 | Comment(2) | TrackBack(0) | インターネット | このエントリーを含むはてなブックマーク |

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