2008年03月28日

就職活動〜商社の方と面談〜 この記事をはてなブックマークに登録

オスロに20日から23日まで行ってたんですが、
実は一つ目的があって、それはオスロで商社勤務されている方に
いろいろとお話を伺うためでした。
観光については機会があればまた後日書いて見ようと思います。

いくつか興味のある業種はあるんですが、
商社というのは以前から気になっていた業種です。
なので就職活動を始めるに当たって商社の方から話を聞いたりして
一つの業種について詳しくなり、それから段々と手を広げていこうと思いました。


国際教養大学は先輩が社会に出ていないので
商社に勤めているOBやOGを探すと言うのが不可能です。
これがまず大きな問題としてあります。

しかし方法が無いわけではありません。それこそ本当にいくらでも探せば出てくる。
僕はどうしたら良いのかなと考えながら、mixiのノルウェー関連のコミュニティで
ノルウェーで勤務されている日本人はいらっしゃいますか?というトピックを立てました。

それで二人の方に反応を頂き、その一人が運よく商社の方でした。

mixiで知り合うというのも中々面白いと思います。
たぶんこれからネットを有効活用してどんどんさまざまな行動が
取れるようになると思いますが、就職活動にだって活用できますよね。
ネットを最大限に利用して就職活動をする最初の世代になるかも
しれません。

話は逸れますが、丁度卒業旅行で北欧も回っているという人が
ベルゲン市にやってくるということをmixiの同じコミュニティで知り、
連絡を取って落ち合い、市内を案内したり、一緒にコンサートへ行ったりもしました。
もちろんお金も結構かかるので夜は部屋に泊めたりしました。

もしノルウェーのベルゲンに来ることがある人がいたら
メール下さい。夏までであればいますので(笑)



オスロ勤務の商社マンと連絡が取れたので、
実際にメールを何度も交わしてオスロで会う約束を取り付けました。

話した内容を以下簡単に纏めたいと思います。

今回会ったのは大手商社(S社)に勤められているMさん(男性)です。

Mさんは大学院(修士)を卒業、某鉄鋼メーカーに約10年勤務された後、
に転職されました。

S社に勤務されてからまだ二年ということですが、
鉄鋼メーカーで培った技術や知識を営業に存分に活かして活躍されています。

商社というのは何でも出来るイメージがあるかもしれませんが、
基本はどこどこの部門へ振り当てられ(本人の希望が通るとは限らない)
その部門において、多くの場合一つの商品を専門に扱うということになる
と聞いています。
扱う商品に応じて必要があれば世界各国の支店、支社で勤務を積み、
その道の専門家として仕事をします。

Mさんの場合は技術者として鋼管(パイプ)の設計をメーカー時代に担当し、
パイプラインをずっと専門に設計してきたということです。

実際に東南アジア、ロシア(極寒のサハリンにもいたそうです 笑)など現地へ赴き
現地の技術者とコミュニケーションを取ってパイプライン建設に尽力されました。

S社に転職後は東南アジア、ロシアではなくいきなりヨーロッパへ転勤させられ、
今年の1月から4月までオスロ支店でパイプ販売を中心に勤務されています。
4月からは再び別の地域であるオーストラリアでの勤務が待っているそうです。

本人によると、このように様々な場所を経験しながら更に
経験値を蓄積していきながら専門分野を深めていくようです。

面白かったのはずっと技術者として勤務されていたにもかかわらず、
パイプを販売する営業業務へと転職されたことです。

営業では設計者としての経験が活きると仰っていました。
実際に販売しながら、パイプライン全体の設計について
いろいろとアドバイスを出来るのが強みだと。


本人の仕事について一通りお聞きした後、国際教養大学のことを話したりもしました。

国際教養大学ですとメールに書いたときに、
国際教養大学は知っていますよという返事が来て驚きました。
これはとてもうれしいことです。

商社で働くことについて聞いたときも、やっぱり言葉の壁というのが大きい
と言っていました。
そしてそれを入社前からクリア出来ているのは大分違うと。

もちろんビジネスの英語というのは違いますが、別の言語を使って
コミュニケーションが取れるというのは大きいのでしょう。

国際教養大学の今後で最も重要になってくるのが就職活動での実績です。

これは大学の人気が今いくらあるとしても、就職活動の実績が
伴わなければ数年で人気が落ちてしまうことが懸念されるからです。

その意味ではまだまだ僕達が大学の伝統、評判を作っていくという役割が
あるということを意味しています。

以前「三期生」としての役割というのを書きました。
やはり出来たばかりの大学が今後良い評判を維持して生き残っていくことは
容易なことではありません。それには学生自身が積極的に大学を
良くしようとする心がけが必要だし、行動を起こさなければならないと
思います。


また、就職活動については早めに始めることは全然悪くないし、
そうした方がいろいろ余裕があって、将来きっと為になると言って頂きました。

実際に働いている企業の方と会って話をしたりするのは今後の可能性を広げるし、
そうした過程で人脈が出来るのは素晴らしいことだとも言っていました。

狭い意味での就職活動(エントリーシートや面接)はもちろんやらなければいけませんが、
広い意味での就活は長い目で見て、将来活きてくるということだと思います。

また、やっぱり働く企業は自分で選びたいですよね。

あまりに準備が遅いと、自分で企業が選べないし、なかなかつらいと思います。
納得が出来ていなければ入社数年でやめてしまうということにもなりますし、
大学出て働く期間というのは40年から45年にもなります。

もちろん今は一生同じ企業に働くという形態は終わり、
どんどんさまざまな経験を身につけ、常に自らの市場での価値を
高めていかなけれなりません。その努力を止めなければいつでも
企業を変えることが可能だし、選択の幅を広げることが出来るでしょう。
しっかりと作戦を立てて働く必要があると思います。


国際教養大学の就職活動については、
やはり自分たちがOB・OGとして後輩の面倒を見られるようになり、
後輩が充実した就職活動を出来るようになるのがまずは目標です。

就職活動で大手企業や目的の企業に入れるようになれば、それがそのまま
大学の評判にもつながりますし、今後自分達が生きていく上でも役に立つでしょう。
卒業してしばらくして無名大学になるなのは最悪のシナリオです。

だから今から少しずつ就職活動を始めて、
三期生同士で情報を共有し、それを後輩にもつなげていければと思います。
それはきっと自分達のためにもなるので。


リクナビ2010はまだ始まってないんですが、
日経ナビ2009は今からでも会員登録できるのでもし良かったら
どんなもんかなって試す意味でも登録するのはありだと思います。

http://job.nikkei.co.jp/2009/
posted by Jack at 00:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 就職・インターンシップ・大学院 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年03月26日

成果主義について考える この記事をはてなブックマークに登録

ちょっと成果主義というのものに関して

少し前の日記で触れました。

読書ノート「東大で教えた社会人学」

参考として日経ビジネスオンラインの

「このままでは成果主義で会社がつぶれる」

を参照しつつ、成果主義について整理してみたいと思います。


[日本における成果主義導入の背景]

日本の給与システムは年功序列で決定されていましたが、
それは今まで経済が右肩上がりであり、人件費の拡大が可能であったからです。

しかし現在では多くの企業で成果主義が導入されました。

この導入について慶応大大学院 政策・メディア研究科の高橋俊介教授は、
90年代半ばから企業の中で45歳以上の社員の比率が増え始め、多くの企業は“このまま年功制で賃金を支払っていると人件費倒産する”という危機感を抱いた。そこで、人件費削減策を早急に実施しなければならなくなった(参照)

と言っています。不景気に対応するために行ったと言うことですね。

しかし導入したのは良いものの、いくつもの問題が浮上してきました。


[日本における成果主義の問題点]


・人材が育たない

 これはいくつか理由がありますが、一つは指導する、教育する側が自身の成果を重視するあまり人材育成が不十分になってしまうため。
そしてもう一つは成長する側が失敗することを恐れてさまざまなことに挑戦出来ないことが挙げられます。

前者に関しては川上真史さんが育成的視点の欠落として、
自分自身の数字を達成することが精一杯で、時間のかかる部下育成がおろそかになるということ

と指摘しています。(参照

・目標が短期視野
 
 基本的に結果を出すことに腐心するあまり、短期で結果を出すことしか考えず、中長期的な視点が欠けてしまう傾向があるようです。これは評価が短期の目標(一年単位など)によって決められてしまうこととも無関係ではないでしょう。

・モチベーション

 本来実力成果主義は本人の出した結果次第で給与評価が変わり、結果を出せば給料が上がるということにより、モチベーションを高める目的があると思います。

しかし実際にはそうでは無く、多くの人のモチベーションを高めるどころか、やる気を失わせているようです。NBOnlineによると、
「成果主義に基づいた人事評価制度は、あなたの仕事への意欲に影響を与えていますか?」と聞いたところ、「意欲を高めている」人は18%、「意欲を低めている」人は41.4%、「特に影響を受けていない」人は40.6%だった(回答者数は1082人)。意欲を低めていると答えた人は全回答者の半数以下だが、意欲を高めていると答えた人よりも2倍以上多い。(参照

というアンケート結果になっています。

・評価基準が不明瞭

評価基準に関してもアンケートにあったものを引用してみると、
「結局は人が評価するものであり、定量的な目標ならまだしも、定性的な目標は上司の主観が入る。達成していなくても、上司がよしと認めればよい評価がつき、いくら頑張っても外的な要因により達成できなかった場合、評価する上司によって評価の結果は違ってくる」
(課長クラス 40〜44歳)

 「相対評価になっている点が大問題であると思う。いくら目標を達成しても、職位(職級)別にAランクは何人、Bランクは何人、と決まっていてはやる気もなくなるでしょう。ほとんどの人がCランクになるのですから。
 そもそも目標自体も表面上は自分で決めることになっているが、ほぼ決められているんだから。面談もあるけど何にもなっていないですね」
(係長・主任クラス 35〜39歳)

というように評価に問題があるようです。

これについては、明確な評価基準が必要だと思います。

Twitterでmarco11さんが言っていたのは、
どこでどういう結果を出せばどのように評価されるか  これを明確に決めて、その基準を共有していないと何もはじまらないのは言うまでもない。(参照

ということで、成果主義で評価をする際に、評価基準を明示しなければ成果主義を採用する意味が無いということです。

ある目的の為に競争して何かをするのであれば、
参加者のルールがまずは前提として公開されていることが必要であり、そのルール、あるいは評価基準を踏まえて競争をすれば良いわけです。そうすればその評価基準によって下された結果に対しては文句を言えません。結果が全てであるんだけども、その結果がどうやって評価されるのかが事前に示されてあるのとそうでないのとでは大違いです。

ある程度評価基準が客観的なものであるのはもちろんですが、その基準によって当然労働者の行動基準も変わってくるので、何がその会社にとって評価されるものなのかという視点も重要なのでしょう。

もともとモチベーションを高めるのもありますが、優秀な人材を確保する狙いもあるはずですが、日本の成果主義システムはその意味でも有効に機能していないのかもしれません。

・チームワークの欠如

これはさきほどの評価基準とも大きく関連してくるのですが、基本的に成果主義が個人の行動を評価するものなので、個々人がばらばらになりチームワークが失われたと言うことです。


[成果主義に関する考察]

ここまで整理してみましたが、成果主義というのはもともとアメリカで
適用されていたシステムであり、それを日本が真似して導入しようとして、
現在のような問題がいろいろと発生してきました。

もちろん日本とアメリカの仕事文化は異なります。
端的に言うならば(不勉強で正確ではないかもしれませんが)
日本は従来の集団的な意思決定システムがあり(稟議制など)、
個々人の権限はあまり強くなく、トップダウンで業務が行われました。

それに対しアメリカは個人主義が徹底しており、個人の権限が強いです。

このような違いが日本が成果主義を導入することを難しくさせているのかもしれません。

こう考えてみると、日本が成果主義を今後しっかりと機能させるためには、
基本的なビジネス文化を変える必要があるのだとも考えられます。
これを検討するためにはグローバルビジネスについても考えなければなりません。
アメリカ的なビジネスがスタンダードなのだとすれば日本は
そこにどうやって適応していくのか。


そもそもあるシステムを導入するには、それ以前にそのシステムを
成立させている要素を考える必要があると思うんですが、そこらへんを
考えなければいけないのでしょう。その要素が無いのに導入しようとしても
それは意味が無い。あるところで上手く言ってるからと言って他方で
上手くいかないことがあるというのはそのためです。

アメリカにおける成果主義が良く分かっていないのでどうしようも
ないのですが(すみません…)少なくとも評価基準を明確にするのは
必要不可欠なことです。中長期的な視野をしっかりと考慮する必要が
ありますし、人材の育成も重要です。

この日本とアメリカにおけるビジネス文化の違いや、
アメリカの成果主義について詳しい方がいれば教えていただけると幸いです。
posted by Jack at 05:09 | Comment(0) | TrackBack(1) | 就職・インターンシップ・大学院 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年03月10日

Lifeを聴いて〜自分探しが止まらない〜 この記事をはてなブックマークに登録

今日ふとしたきっかけで聴いてみたラジオ番組、「Life」。
この番組はネット配信もしていたのでそちらを聴きました。
扱っている内容は今回聴くのが初めてだったので説明出来ませんが、
具体的には社会的なトピックについて話す感じです。

詳しくはこちら。文化系トークラジオ Life

今回のゲストに呼ばれていたのは、
『自分探しが止まらない』の著者である速水健朗さんです。

僕自身、現在留学中なので入手できておらず読んでいませんが、
ネットを通して書評を書いてたりしているのを読んでいるので
ある程度は話題についても知っています。例えばm_um_uさんの日記など。

自分探しの現状はは本書で扱われているようなので、
それを読んでいただければと思いますが、ラジオで最初に扱われたのは
自分探しのゴールはいったいどこにあるんだろうという話。

具体的にバックパックで海外に行くことを義務付けられている
ユダヤ人の話や、ギャップイヤーの話に始まって、外こもりや
海外を旅したり外へと向かっていく自分探し(この言葉が適切かは分かりませんが)
になり、更には猿岩石がシベリアを横断する番組の話に。
僕はその番組を知らないので分かりませんが、
ここでは「お金を稼ぎつつ何とか旅を続けることが出来る」ということが、
ポイントになるようです。

つまりお金を稼ぐことが出来る、お金をもらえると言うのは社会的な承認であると。
その承認はすなわち、その人間の生き方(あり方)を認めることになるわけです。

自分探しのゴールは他人に承認されることでは無いか、
という仮定がここで出てきます。

じゃあなんでわざわざ外に出る必要があるの?
ということになりますが、ポイントは自分が置かれている状況から
離れるということにあるような気がします。
僕は自分探しというのが外向き(バックパッカーなど)と
内向き(自己啓発やスピリチュアルなど)の二つに分かれると
考えていますが、外向きにおけるものではそういう傾向があるかなと。

必ずしも逃避である必要は無いですが、
裸一貫(?)で自分が他者に認められる存在であるのかどうかということを
確かめたいというのが根本にあるのかもしれません。
もちろん旅によって好奇心を満たしたり、旅先の人とコミュニケーション
を取りたいという思いはあるのでしょうが、
同時に自分が置かれている文脈から一度解放されて、そこで自分を
試したい気持ちがあるのかなと。


しかし本当に他者に認められるのが最終的なゴールなのでしょうか。

おそらくゴールは最終的には自分で自分を認められるようになることです。

自分を認めるということは概して他者からの承認を通して行われます。
他者からの自分の承認→自分による自分の承認という流れです。

他者から承認されるというのはもちろん必要条件ではありません。
結果的に自分が自分を承認出来れば良いわけで。

それは自分に自信を持つことなのかもしれませんね。




自分探しのきっかけの方なんですが、自分探しの流れが生まれたのは
80年代、90年代以降ということで、就職氷河期や、m_um_uさんの言う、
ゆとり教育的な志向(個人重視)が強くなってきた頃だと言われています。

時代的にはバブル崩壊以降加速することになるわけなんですが、
僕の考えだとやはり団塊の世代的な職業観が通用しなくなってきて、
働き方(生き方)の選択肢が増え、また不景気が重なり非正規雇用の労働者が
急増したということが絡んでくるんだと思います。


僕は2010年に就職を控える学生ですが、
働くことについても少しずつ考えています。
もちろん終身雇用や年功序列が崩壊している今の状況がありますし、
更に言えばグローバル社会や情報社会(もう情報化社会は過ぎたような)
のことを考えると何らかの対策は講じないとまずいな、
セーフティネットも信頼できない以上、
となるわけで。

また別の事情としては、
就職活動と受験勉強はかなり似ている部分があるということです。

これについては拙ブログの過去記事を参照してください。

受験勉強でも忘れてはいけないことが一つあって、
それは入ることがゴールでは無いということです。

就職活動だってそうなんですが、どうしても
受験勉強のとき見たく、周りに押し流されて上の大学(就活では企業)
を目指して頑張り、受験だけで精魂が尽きる学生が中には出てくる。
または、そういう流れでしっかりと大学で何を勉強したいのか、
あるいは何をしたいかが明確に出来ずに入学してしまう人もいるはずです。

もちろん何を勉強したいかなんて具体的にイメージできる人間は稀で、
入ってみたいと分からないことは多い。それで構わない。
ただ、出来るだけ何をしたいのか考えることは決して無駄では無いし、
就職活動に追われて入社した後途方に暮れたくはないと思うわけです。


僕のことを書きましたが、こうした考えのもといくつか
就職活動に関する本を読んだりするわけです。

丁度ラジオでも絶対内定や面接の達人が話題に出来てました。


絶対内定は読んでないし、面接の達人もパラ見程度ですが、
読んでいてぶつかるのが自己分析です。まあ自己PRの為に
そういう作業をやるわけですが、自分と向き合うという作業において、
中には疲れ果ててしまう人がいるということです。

それはちょっとまずいかなと思いますが、
実際には自己分析が上手くいかなくたってそれで働けないということではないし、
疲弊するまで自分を分析するくらいなら、出来るだけエントリーシートの
選考で落とされないような企業を探せば良いような気もしますし、
いくつか対応策は見つけられるのではないでしょうか。


どうして自己分析で精神的にダウンしていまうかというと、
無理やり自分を見つめなおさせることで、自分の過去を
嫌なものまで含めて直視させ、それを書き出し、アピール出来るようにさせる。
それはある人にとっては非常な苦痛であり、自分とは何かという
問いを繰り返させ、自分というものが揺り動かされる
不安な作業なのかもしれません。自分に対する自信とかも含まれたり…。
これは僕の推測に過ぎませんが。

だからいきなりそんな風に畳み掛けられて耐えられなくなる人が出てくるのでしょう。
きっとそうやって自分という存在を見失いそうになる。

この不安はある意味自分探しとも関連してくるかもしれません。
会社に依存して働くだけで生きていられた時代は過ぎ去ろうとしており、
自己責任下で今後の時代の変化に対応していかなければならない、
あるいは常に自分の市場価値を高める努力をし、進む道を決める必要が
ある時代になりつつあるのでしょう。

目の前にある社会、そして時代へと適応させるために自分を再構築する作業が
自分探しであるとすれば、それは生きる為に必要なのかもしれません。




追記:番組の番外編がウェブにて公開されました。
それについてのちょっとした感想も書いたので宜しければ。(参照
posted by Jack at 08:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 就職・インターンシップ・大学院 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年02月14日

1・2年からの就職活動? この記事をはてなブックマークに登録

そろそろ三年生になるので
就職活動が視野に入るようになってきました。

まあ就職活動に関する本や雑誌、ネットなんかで
情報をチェックしたりもしますが、ふと考えるのが、

大学一・二年生が三年の夏から始まる就職活動に
すんなりと入るためにどんなことをしたら良いのか

ということです。

これは僕がこれまでやってきたことや、
上にあげた情報に触れて思ったことなので、
マニュアル的なものでは全くありません。あしからず。


[就職活動≒受験?]
だんだんと就職活動開始時期が早くなってきていると言われています。
一・二年生でも自己分析や自己PR、エントリーシート、
グループディスカッションなどの言葉に触れることもあるのではないでしょうか。

しかしそういうのって何となく受験勉強に似ていませんか?

どの学校が良いのかを蛍雪時代とか受験情報誌で調べたり、
塾に通い情報を得、受験が近くなると試験の対策をしたり。
学校説明会で学校を見て回ったり、学祭に行く。

就職活動でも同じですよね。
会社四季報や会社図鑑なんていう情報誌を読んで会社を調べたり、
セミナーとか会社説明会に行ってみたり、etc。
最近だと就職浪人なんていう言葉も耳にします。

だとすると考えないといけないことがいくつかあります。
受験競争がきつい大学に通っている人の中には、
競争で燃え尽きてしまった人や、入ることにこだわりすぎて
入学後何をして良いのか分からないような人がいますよね。

企業でもそれは全く同じ。
会社に入って三年経たずに辞める社員が多いと良く言われていますが、
それは就職活動という競争に追われ、しっかりと会社に入って
何をしたいのかということを考えてこなかったからではないでしょうか。
あるいは自分のイメージと現実が合わなかったり(悪い意味で)。

大学だったら入ってから何をするか決めて無くても、
中にはあまり勉強をせずに卒業できたり、対応出来るかも
しれませんが、企業へは働きに行くのですから働くことは
どういうことかを考えないで行くのは問題外だと言えます。

そして企業に入ったらそれで終わりではありません。
大学は四年間ですが、働く期間というのは約40年です。
10倍です。
しかも企業というのは大学と違って倒産する可能性もある。

これは就職活動のテクニックに始終しているようではまずい。


面接の練習だの、グループディスカッションだのをする以前に
考えるべきことが二つあると僕は思います。


[人生設計]

一つ目は人生設計です。

今はキャリア設計、あるいはキャリアデザイン
言う名称が主流かもしれませんね。

つまり自分がどのように生きるかの計画を立てるということです。

もちろんいきなり60歳までどんなことをしているのかを
1年単位で設計しろとは言いません。スケジュールでも何でも
細かい計画は狂うものです。

ただ人生における方向性のようなものはあった方が、
今後ぶち当たるであろう選択が必要な場面で役に立つので大まかには
決まっていると良いと思います。

例えば30歳になったら脂が乗ってきて、精力的に仕事をこなしていて、
私生活も充実していると良いなというイメージ、
60歳で定年するころには子供も社会人として立派に自立して、
妻と二人暮らしで、毎日縁側で本読んだり、孫と遊んだり(ちと古い?笑)
出来たら理想だなというような。


簡単にイメージ出来ないという方もいると思います。
そういう方には自分が今までどんな風に生きてきたか、
今何をしているかを考えることをお勧めします。

端的に言うと「自分を知る」ということですね。

自分ってどういう人間なんだろうということを意識するようにすると、
日常的に自分を観察する視点が生まれます。

具体的には趣味だとか、幸せだと思う瞬間とか、やりがいのある
ことなんかを今までを通して考えたり。

そうした上で、「こうありたい自分」というイメージ
があれば、そのイメージと現実のギャップを考え、
それを埋めるためにはどうしたら良いのかを考えることも、
今後のキャリア設計をする上で有効かもしれません。

自らの人生において何を求めるのか、あるいは実現したいことは
何なのかを考えるヒントにもなるでしょう。


そしてとても重要なのが、設計したプランを常に
見直して修正していくことです。
もちろん僕だってまだ企業に入ってないわけで、
入ってから分かる部分というのはかなりあるでしょう。
そうした変化に柔軟に対応していければ良いと思います。


[働く意味]
もう一つが、働くとはどういうことかを考えることです。

その為には実際にどんな仕事があって、どのようなことをやっているのか
を知る必要があります。


実際に働いている人、それこそ両親と話をしたり、
親戚や知人から得られるものもあるでしょう。
大学のOB・OGに会うのも良い刺激になるだろうし、
興味のある会社に直接訪問して見学したり、
社員の方に話を伺ったり等々。
最近ならネットを有効活用して様々なことだって可能でしょう。

方法なんていくらでもありますよね。
そしてそれを自分で考えるというのも必要なことです。

アルバイトやインターンシップをして実際に働いてみるのも
良い経験になりますよね。僕もインターンシップを検討中です。

また、企業で就職活動を経て働くだけが働き方ではないはずです。
様々な働き方をしてお金を得ている人がいることを知るのも大事です。

それこそテレビや映画でも良いし、雑誌や本を読んで考えるのも手ですね。



大学一・二年の人は就職活動での面接対策やエントリーシート等々の
言葉に迷わされること無く、もっと広い視野で考えるべきではないでしょうか。
時間はたっぷりとあります。就職活動を始めるなということではなく、
就活にのめりこむ前に出来ることがあるし、
そちらの方がより重要かもしれないと言いたいのです。

大学受験で身に付けた受験テクニックが大学に入ってから
どのように役立っているか、そして大学に入ってから高校時代に
するべきだったと思うことを、一度考えてみてください。




追記1:
一応先に就職活動がどんなものか知りたい
と言う方がいるかもしれないので参考になるサイトの
リンクを張っておきます。詳細はまた今度。

働くことを考える-[大学生のキャリアプラン]All About

キャリアコンサルタント斉藤光男の就職活動のミスマッチ解消サイト

就職活動を考える


追記2:
拙ブログの過去エントリも参考にしていただければ幸いです。

原石と挑戦〜それにつけて考える職業観〜

読書ノート「東大で教えた社会人学」


追記3:
読み返して思ったのですが、
自分とはどういう人間か、と言う問いはある意味
哲学的な問いになってしまうので注意が必要です。
そういうことではなく、具体的に自分はどういうことを
してきて、どういうところが長所、あるいは短所で、
なんていうことを過去の経験から導き出していく作業のことです。

人生の意味とか考えてしまっては、いろいろと疲れたり、
つらくなってしまうので、あしからず。
posted by Jack at 10:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 就職・インターンシップ・大学院 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2007年12月09日

Only One?-No One, Nobody この記事をはてなブックマークに登録

オンリーワンと言えばおそらく数年前に大ヒットした
SMAPの「世界に一つだけの花」を思い浮かべる方が多いだろう。

つい最近友達とメッセで会話しているときにこの言葉が出てきて、
オンリーワンのことを先輩が好きじゃないと言っていたという
話になった。

僕はこの言葉には素敵な面もあるとは思うが、
解釈を間違えればマイナスの言葉になるとも考えている。

そのマイナスの面をその先輩も言っていたのだが、
要は「私たちはオンリーワンなんだ」と言って、
そこで自分を磨こうと頑張ることをやめてしまうこと。

そうやって進歩しようとすることを諦める口実にしてしまうことだ。

この構図は、私たちはみんなオンリーワンだと言って、
励まし合う、というより励まして前に進むのではなく、
お互いに傷をなめあい、その場所に留まるということを意味する。

さらに踏み込んで言うならば、その傷のなめあいによって
人は前へ進むことを忘れてしまう。というより前へと進むことが
出来なくなると言ったほうが適切なのかもしれない。

確かにそこに自らの場所はあり、安堵できるものだが、
そこで留まっていればいるほどそこから抜け出すことが
難しくなる。

そこまでいかなくても、オンリーワンというのは、
消極的な意味を持っているのだと思う。


ところで今の僕はどうだろうか。
オンリーワン(Only One)と言えるだろうか。

そうではない。僕はノーワン(No One)だ。
ノーワンであり、ノーバディ(Nobody)である。

ノーベル科学賞を受賞した利根川進は、
立花隆との対談で、自らの研究をさせてくれるスポンサーとなる
研究所を探したが、当時は誰も助けてくれなかった、
と言っている。

そして立花隆が、ノーベル賞を受賞したあなたが
そんな扱いをされていたのか、という驚きをもらしたのに対し、

当時私はノーバディでしたから、

と答えている。

Nobodyとは、英語で名も無い人、取るに足りない人という
意味がある。

つまり当時の利根川進は、自身の功績が社会的に認められておらず、
ただの一研究員であり、ノーバディだったのだ。


もちろん僕が利根川進と同様にノーバディを名乗るのは
多少気後れがするが、
実際に僕は世間から見ればただの一大学生であり、
ノーバディであることに変わりは無い。


大学での生活はもうすぐ二年を過ぎようとしている。

神奈川県から一度も足を踏み入れたことが無く、
大学説明会にも行かずに入学した国際教養大学。

高校二年の冬、蛍雪時代の特集ページで、
「授業はすべて英語」という謳い文句に惹かれ、
それ以来模試の際には志望校に必ず入れた。
教養大学という名前も受験動機にはあった。

高校時代の勉強ではまだまだ足りないと思い、
もっとさまざまな科目を取って学問の大きな
枠組みのようなものを知りたいと考えていた。
そこで大学には教養学部があるところを選んだし、
出来るだけ面白い学生が集まり、勉強の選択の幅が
あるところに絞った。

公立大学であるが、
出来たばかりの大学であり、
当時まだそこまで競争率は高くなかった。

もし僕が入学すれば、3期生となり、
まだまだ大学を作っていく主体になれるのでは
ないかと思っていたし、少人数の大学というのも良かったと思う。


一年の頃は、受験時代に鍛えてきた英語に自信はあったものの、
英語の授業を受けるために必要なリスニング力やスピーキング力は
ほとんど無く、しかも入学してきた同級生には一年間留学していた
人も少なくなく、彼らに負けないように必死で頑張った。

それと平行して、高校時代に一生懸命に打ち込めなかった部活動など、
勉強以外の活動にも力を入れると決めていた。

だから三つまでしか入ることを許されなかった部活・サークルに
5つ・6つも入り、スケジュールに追われる忙しい日々をすごした。

エネルギーが無くなるなんて考えなかったし、むしろ
エネルギーを使えば使うほど出てくるという考えでいた。
途中何度か風邪を引いたりしたけど、勉強ではやることはやったし、
少なくともやらなければいけないことはこなしてきたつもりだ。


そして今ではこうしてノルウェーでの生まれて初めての海外生活を
経験し、その生活もあっという間に半分というところまで来ている。
こっちでは時間に追われる今までの生活とは対照的に、
自分で完全に責任を持ってやりたいことをやりたいときにやるという
生活を実現している。くつろぐことも出来、いろんなことにチャレンジした。

もちろん授業に出るのも自由だ。学生規模が大きいので
出席を取るところは無く、好きなときに出席していればよかった。
そして出なかったツケは自分に回ってくるし、そこに対しては
責任を取らなければいけないが、それ以外は本当に自由にして良い。

そして自由にやってみて感じたのがもちろんある程度は
英語を話さないといけないという強制的な環境ではあるが、
実際に話さなくても生きていけるということだ。
つまり、話したいという気持ちが無いと、一向に英語は上手くならない
ということでもある。
こちらから積極的にいかないと向こうは受け入れてくれないし、
その意味では少し消極的だったのかもしれないと反省している。
だから残りの半年は思いっきりそれこそこっちでしか出来ない
こともしてみようと思う。

留学から帰ってきたら、やることはたくさんある。

車の免許は取らないといけないし、
インターンシップだってある。

そして帰ってくるのが3年生の夏だから秋には
リクルートの登録など就職活動の火蓋が切って落とされる
わけだ。

大学院へと行く道も残されているが、よほどやりたいことが
無い限り、つまり高いお金を借りてまで払うほど行く気がある
場合にしか考えられない。特に理系学生では無いため、
大学院進学というのはまだまだマイノリティだろう。


ここで最初に触れたノーバディというところに突き当たる。
インターンシップが僕の大学では必修単位となっているのだが、
インターンシップ先は自由に決められる。
もちろん大学が企業と独自にコンタクトを取ってくれて出来た
インターンシップ先を選ぶというのが一番簡単な手だ。

しかし出来れば自分で働いてみたいと思う企業を
自らの手で選びインターンシップをするというのが
理想だ。
そのために試しに二つの会社にメールを送ってみた。
しかし返信は無かった。もちろんこちらに不備があった
のかもしれない。でもそこにあった現実は、
自分はまだ何者でもない、つまりノーバディだという実感だった。

自分がどのような人間かというイメージは
他者との交流を通じて、あるいは他者という鏡を通して
形成されるものだ。分かりやすく言えば、
自分を石の塊だとすれば、他者との交流を通じて
削りだされていくのが自分ということだ。

そうして作り上げてきた自分を持ったまま、
あるいはそれが自分だと思いながら就職活動、あるいは
インターンシップへと進むと痛い目に合う。

そこにある現実は、ノーバディな自分なのである。

もちろん向こうの人間は僕のことを全く知らないし、
分かるのは一大学生ということだけであろう。
そこには僕が大学で築いてきた僕のイメージというのは通用しない。
これが自意識過剰な考えだと言うのは頭では分かっていたつもり
だったが、実際にはそうでは無かった。

だからメールの返信が無いことを知ってああ、分かってなかったんだな、
と思った。では大人しく大学が提供してくれているインターンシップ先
から選ぼうかということになるが、それは最後の手段にしたい。

大学の助けを出来るだけ借りることなくインターンシップ先を
勝ち取ってみたいと思う。

待っていても企業が向こうから僕がどんな人間かなんて
知ろうとしてくれるわけが無い。
そんな甘えは捨てなければならない。

こっちからどんな人間なのかをアピールしていかなければ
ならないのだと思う。

まだ就職活動までは時間がある。
しかし社会へ出るに向けてこの姿勢は大事にしていきたい。

NobodyからSomebodyへ。

サムバディ(Somebody)というのは、
ひとかどの人物、大物という意味がある。

大物になれるかどうかは置いておくにしても、
社会において何者かにはなりたいと思う。

インターンシップ先を勝ち取るというのは
そのための一歩にほかならない。
posted by Jack at 09:47 | Comment(2) | TrackBack(0) | 就職・インターンシップ・大学院 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

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