2009年05月18日

働くとは この記事をはてなブックマークに登録

前に『働く理由』(ディスカヴァー21)という本を買ったので、
それについての感想を今さらながら書いてみます。

昨日の雑想はこれから徐々にほぐして考えていけたらなと思います。
あれらが自分の根っこにある関心なんですよね。最近の。

筆者の戸田智弘は、働くということを、

「働く」=「お金」+「やりがい」

と定義しています。
これ自体はなるほどなと思いますが、
このやりがいというのをもうちょっと具体的に考えたいと思います。

自分がどんな時にやりがいを感じるかというと、
おそらく社会に対して自分が何らかの関係を確立出来たときだと思うんです。
これは前回の日記でも少し触れました。

つまり、自分→世間→社会→世界というつながりの中で、
自分の立ち位置を正確に把握でき、それを維持できること。
それがやりがいを感じさせるのではないかと。

その意味では、逆に自分と世界はどのようにつながっているのか
そういうことを意識させてくれる行為が仕事なのだということも出来ます。

なので仕事という言葉は、単に職場に勤めることだけに関わらず、
世界と自分の関係を構築する行為は全て仕事だということも出来るかもしれません。

そして関係を築くのであれば、なるべく自分独自の関係を築く方が良いですよね。
独自の関係を築くという意味では、やはり自分が主体的に世界に関わることが出来る
仕事の方がやりがいを感じるのでしょう。


この本はいろいろな引用で成り立っているのですが、
そのいくつかを紹介します。(孫引きになりますが)

 
 どれほど才能があって、どれほど努力をしても、それがまったく結実しないと嘆く人間がいる一方で、まるで才能もなく、ろくに努力もしていないけれど、どうも「いいこと続き」で困ったもんだとげらげら笑っている人間がいる。
 その差は、自分の将来の「こうなったらいいな状態」について「どれだけ多くの可能性」を列挙できたか、その数に比例する。
 当然ながら、100種類の願望を抱いていた人間は、1種類の願望しか抱いていない人間よりも、「願望達成率」が100倍高い。

内田樹(うちだ たつる)『こんな日本でよかったね』(バジリコ)



これは、前に日記で書いたこと
にも関わりますが、

自分の立ち位置を把握すること、

自分が大切にしていることを見つめ直すこと(→これが望む関わり方につながる)、

そして、
自分のいくつもの可能性を考え、それを受け入れ、楽しむこと

そういったことがすごく重要なんじゃないかと思います。


あともう一つ引用します。

「自分に合った」仕事など、いつまでも見つからない。な
ぜなら、彼らは、「自分に合った」仕事をみつけたいと言
う。その一方で、「自分が分からない」とも言う。つまり、
わからないものによって、わからないものを見つけようと
しているわけだ。そんなもの、見つかる道理がないでは
ないか。自分と言うものは、「わからない」のではなくて、
自分というものは「ない」のだと、一度思い知らなければ
ダメなのだ。

池田晶子『知ることより考えること』(新潮社)


これなんかは、再度になりますが、
関係に目をくれずに自分を探そうとしても無理だという話です。
その意味で、「自我」、自分らしさ、自分であること、
は関係の中にしか見出せないわけです。

それは、
人間が実体的存在ではなくて関係的存在である(p.207)
からです。



朝から何か難しいこと書きましたが、
最後にもう1個。

この道を行けば、どうなることか、
危ぶむことなかれ、危ぶめば道なし。
踏み出せば、その一歩が道となる、迷わず行けよ。
行けば、分かる。

一休宗純

(なお、本書には一休の引用としてありますが、
ウィキによると清沢哲夫の「道」らしいですね。)

「決める」こと、
一歩を踏み出すことが何より大事だと思います。

やってやるぜ!、と思わなければいつまでたっても始まらない。
posted by Jack at 07:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 批評〜書籍・映画・ドラマ〜 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月04日

外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫) この記事をはてなブックマークに登録

前に立ち寄った書店で平積みにされていたので買ってしまいました。

20年以上前に書かれた文章なのですが、
非常に刺激的で面白い本だと思います。

筆者は英文学者で、高校の現代文の文章などで目にした方も
いるのではないでしょうか。


この本が今でも多くの示唆を与えてくれる理由は普段我々が、
思考、特に新しい問題を考えるための思考、
答えのない問題について考えるための思考、
そして新しい仕組みを作りだしていこうとするための思考
などについての方法論、あるいはアプローチの仕方に対して
考察する機会が学校ではほとんど無いのにもかかわらず、
実社会に出てからはそうした思考が必要とされているからなのでしょう。

ちょっと前にダニエル・ピンクという、
米副大統領の首席スピーチライターを務めたことのある方が書いた、
ハイコンセプト』(大前研一訳)
という本が出て、話題になったのですが、
そこで書いてあるエッセンスのいくつかが
既に『思考の整理学』でも指摘されています。


では何か指摘されているのかというところですが、
キーワードは「コンピューター」「比喩」です。

コンピューターは人間をはるかに凌ぐ記憶力と整理能力を持っています。
一度入力した情報はずっと保存しておくことが出来ますし、
単純な計算などでは人間の出る幕はありません。

オートメーションが進み、多くの肉体労働が機械が行うようになり、
産業革命以後多くの失業者が出たと言われていますが、
同じように今はホワイトワーカーの仕事をコンピューターが
取って代わる動きがあるのです。

そこで今までは重宝されていた、
いろんなことを知っている、知識として持っている人
というのは市場価値がほとんどなくなりつつあります。
生き字引きという言葉がありますが、
正確さは比較しないにしろ、ウィキペディアの方が
はるかに優れています。

そうした中で、教えられたことをただ頭に記憶するような能力は
さほど重要ではなくなり、むしろいくつかの情報から新しいことを
考えたりする能力が求められているのです。

前者のただ知識を頭に入れて、
試験などですぐに取り出せる能力を筆者は
グライダー能力とし、後者を飛行機能力としています。

前者のグライダーについては風が無いと空を飛べない、
つまり受動的な能力なのに対し、
後者の飛行機では自力で空を飛べるという点が対照的です。

従来の日本の詰め込み型の教育システムでは
このグライダー人間を輩出することが目的だったのですが、
現在では飛行機人間が求められているというのが筆者の主張です。

要するにコンピューターが数倍効率よく出来ることを
人間が苦労してやる必要は無いということです。
それはコンピューターに任せて、
人間はもっと高度なことをすれば良いと。

昔の官僚的なシステムの中では教えられたことに対して
忠実に解を導き出して、それを遂行していれば良かったのでしょうが、
今の時代そういった能力は必要ありません。


更にこの飛行機能力、グライダー能力について考えると、
今の時代は、正解の無い問題に対して「自分なりの答え」を出す能力
が求められているような気がします。
そのためにはそもそも問題を定義する能力が必要ですし、
その問題を解決するために必要となる情報を
自ら取捨選択する能力が必要です。
そうしたアプローチは小中高の教育では全く身につけられないのです。
問題は最初から与えられていますし、
現代文にさえ模範解答というものがありますよね。



比喩については、さきほどグライダーと飛行機の話がありましたが、
これ自体が比喩です。
そして、比喩を使うことによって考えが整理されるというのは
良くある話ですし、非常に有効なアプローチ方法であるわけです。
外山さんの文章では必ずと言っていいほど比喩が登場します。
そのため論理構成は非常にシンプルで、しかも分かりやすいのです。

ダニエル・ピンクさんもこの比喩を作る能力というのは重要視しています。


さて、他にも思考の整理学の中には
「考えを寝かせる(発酵させる)」、「忘れる、すてることの重要性」
などについても書かれているので、非常に面白いです。


こうしたことを意識して思考するのと、
しないのとでは大きな違いがあると思います。
posted by Jack at 14:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 批評〜書籍・映画・ドラマ〜 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年02月10日

読書ノート「東大で教えた社会人学」 この記事をはてなブックマークに登録

ちょっと読書の感想を書いておこうと思ったので、
日記にします。

今回読んでいるのは、
「東大で教えた社会人学[人生の設計篇]」
(文芸春秋 草間俊介、畑村洋太郎著)です。


まだ読み終わってないんですが、とりあえず途中までの感想を。


これは東京大学工学部での「産業総論」という講義を本にしたもので、
各項目ごとに畑村洋太郎氏がコメントの文章を添える形で構成されています。

講義を直接見たわけではありませんが、
書籍では畑村氏のコメントがあったり、文章としての体裁が
しっかりしているのではずれはないです。
なかには雑談に価値のある講義もあるのでしょうけど、
書くものは一流でも話すのが下手だったりする人もいるので(笑)


立花隆さんとかは自著の冒頭で授業よりも書籍の方が明らかに
優れていると言っています。(データ的にも充実しているとか。)


著者によると、工学部の学生があまりにも専門分化された技術論
ばかりを扱い、「産業や技術の全体像を立体的にとらえる視点」(pp.6)
が抜けているため、産業界において産業の方向性などを考える
広い視野を持つ人材がいないという懸念があったようです。

そのため、技術者の中にもジェネラルな視点を持った人材を生み出すという
考えがこの講座にはあります。
端的に言うと「社長になれる技術者」を作りたかったということだそう。

社長などの経営者となるためにはマネジメント能力や、会社の組織について
精通している必要があり、技術者として勤め続けていても身につかないこれらの
能力を意識的に磨かなければならないですからね。


ということで、この本はこれから工学部を出て技術者として企業に勤務する
人を対象としています。

しかしそれは別に彼らだけに限られたことではなく、普通に働いていく過程で
経験することでもあります。これから生きていく時代について考えたり、
会社をどう選ぶのか、人生設計はどうするのか、老後はどうか等々。

そもそも働くというのはただ企業に勤めるだけでなく、
社会、時代の状況に大きく影響を受けるものです。

高度経済成長期であればただ前を向いて互いに励ましあって働いていれば、
給与は上がっていったし、終身雇用でリストラの不安もありませんでした。
(団塊世代ですね)


しかし今はどの産業が伸びているのか、あるいはどれが斜陽産業なのかを
考えたり、働く上でいかに自分の市場価値をいかに高めていくのか、
キャリア設計はどうするのかなどを考えなければいけません。


もし考えなければ結果は一目瞭然です。
企業と一緒に共倒れになったり、自らの市場価値を高めていかなかったがために
職にあふれたり、非正規雇用に甘んじたりして、社会的に言えば下層へと落ちる
ことになります。

政府が、国がどうにかしてくれるというのは幻想です。
年金制度は崩壊しつつあり、社会保障などのセーフティネットは十分に
機能していません。

怖い話かもしれませんが、現にそういう危機感を持ってしっかりと
将来のことを考えて今から準備していかないといけないと思います。



感想に戻ると、
本書は六章立てになっていて、僕が読んだのは1〜3章までです。

一章では、日本の今の時代における状況や今後について議論がなされます。
財政赤字が進み、借金が一千兆円を超えたことや、
(本書の時にはまだ超えていませんでしたが今は超えています)
少子高齢化で労働人口が減ることによる年金制度の崩壊、あるいは
労働力の質の低下が言われています。


人材育成は従来、企業で行われてきました。
しかし、「今やその構図は崩れ、効率重視の企業は人材育成に手間をかけるよりも
容易に即戦力を求めるようになった。」(pp.28)と指摘されるように、
キャリアデベロップメントをしっかりと行える機会が減り、
一方で特定のスキルなどを持たないフリーターが増えてしまっているのです。


なんかどこかの雑誌か何かで、即戦力となる社員を募集!みたいな
のが新卒社員募集のフレーズとしてあったんですが、そういう風に学生に
まで即戦力の波が迫ってきているというのも少し驚きです。
もしもしっかり将来を見据えるなら、十分にスキルを磨くことが出来る
職場を選ぶのが懸命でしょう。


労働人口の低下に対する問題に関連して移民を受け入れるという議論が
ありますが、僕はそれよりもまずは日本で非正規社員として働いている人々や
ニートなどの労働者予備軍をしっかりと教育してスキルを高め、
働けるようにする方が先だと思います。


フリーターはどうしていつまでもフリーターかというと、
やっぱり責任の有る仕事は回されないわけです。単純な作業が多くなるし、
しかもその技術というのは汎用性が無くて他の業種に活かせなかったりする。
そういう人材はいくらでもいるわけですから、
フリーターに高い給料を払えるはずもありません。


面白かったのが、
技術のブラックボックス化という話です。

今現在日本の技術は世界水準的にもトップにあるわけですが、
中国やインドなどが追い上げてきており、例えば中国が日本の技術を盗むという
ようなことが実際にあるわけです。
(というより模倣といった方が語弊が少ないかもしれません。)

しかし日本が世界に誇れるものは高度な技術力や高生産性であるので、
それが流出しないように守ることが非常に大切です。

そこで出てくるのが技術流出を防ぐ「技術のブラックボックス化」というもので、
見せない、しゃべらない、触らせないという新三猿のことを言うそうです。
(三猿は日光にありますよね。見ざる、聞かざる、言わざる。)


面白かったのが最後の触らせないと言う部分。

「触らせないことは一番重要だ。頭の切れる開発者は技術を見ただけで、ある程度のシステムが理解できる。でも、実は本当の意味で理解できるのは、技術に直接手を触れて、肌合いや温度や振動などの感触を実感したときだ。」(pp.49)

これはびっくりしました。



また、大企業と中小企業のどちらに勤めるのかという話があり、
そのメリットやデメリットを挙げられています。以下に挙げてみます。

<メリット>


大企業:安定感、給与水準、福利厚生、労働環境などの待遇
    システムとして完成しているので様々な知識や経験が身につく

中小企業:成長余力がある、様々な挑戦の出来る場がある、成長の醍醐味を感じられる


<デメリット>

大企業:成熟期から衰退期へと移る企業が多い(*1)、保守的

中小企業:社長の手腕に大きく左右される(*2)、不安定


*1:企業の繁栄期間は約三〇年という有名な説があるそうです。
*2:社長の器以上に会社は大きくならないと言ってるのは驚きです。



就職活動をするときには
実際にこういうことをしっかり考えることが必要になりますよね。
わざわざ斜陽産業に入るというのはそれなりに覚悟が要ることです。


実力成果主義の導入の弊害についてもかなりコンパクトに
書かれていたのでいくつかポイントを。


やはり年功序列的な賃金システムを維持できず、
成果主義を導入したというところが多いようです。

つまり給与総額はそのままにして、ある人は上がり、
ある人は下がるというゼロサムゲームだと。


そして問題として評価制度が確立していないことが挙げられます。
短期で見るか長期で見るかによっても違いますし(多くは短期評価のようですが)
評価者がまだ未熟だという指摘もあるようです。


と言う感じで残りも読んだら感想を書きたいと思います。
読んでて思ったのは、こういうことってあまり学校でもやらないし、
意外と知らないことが多いなということですね。
お金に学ぶという続編の方は先に読んだんですが、
こちらも面白かったです。


posted by Jack at 01:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 批評〜書籍・映画・ドラマ〜 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2007年12月06日

NAUSICAA、そして宮崎駿 この記事をはてなブックマークに登録

昨日はノルウェー人のルームメイトと
風の谷のナウシカを観ました。

英語版を観たんですが、
ナウシカの音声はなかなか良かったです。
いつもは日本語版の音声以外は駄目だって思ってたんですが、
この作品ではなかなかいい感じでした。

その友達は以前大分にあるAPU(アジア太平洋大)に
一年留学していたこともあり、結構日本のアニメとかにも詳しいです。

彼が言うには、もののけ姫は英語音声も良かったと言ってました。
ナウシカだけはちょっとジブリの中でも
取っ付きにくいという印象があります。

確か最後に観たのが小学生ぐらいの時で、
あのオームが大量に押し寄せるところと、
ラン、ランララ、ラン、ラン、ラーン♪
という少女の歌声だけが記憶に残っているのも
ありますね(笑)

その二つが合わさってちょっと悪夢っぽくなっているというか…。

でも実際に観てみると
観てみて正解だったなと思いました。

この作品は確か宮崎駿氏が最初に作ったアニメーション映画で、
(調べてみたら、長編ではカリオストロが最初でした。この作品が二作目。)
テーマ的には一番重いでしょうか。

そのことについてさっと書いてみてもいいのですが、
今回は宮崎アニメに共通する部分をちょっと考えてみようかなと。

もちろんジブリアニメとして考えても支障はありませんが、この作品が
スタジオジブリ前に作られており、高畑勲監督のアニメもあるので、
宮崎駿の作品を主に考えるほうが正確かなと思います


まずこの作品でもそうですが、
自然がひとつの大きなモチーフとなっていること。

これは想像すれば分かると思いますが、
トトロ、もののけ姫、千と千尋、そして
ぽんぽこ(監督作品ではないけど)などなど。

千と千尋の物語は少し違うかもしれませんが、アニミズムというか、
神様の世界という点では自然というくくりに入れることが
出来るでしょう。

動物もすごく活き活きと魅力的に描かれています。
ナウシカに出てくるキツネリスのテトなんかもそうですし、
もちろんトトロの動作もすごく愛らしくて、匂いを嗅ぐ動作とか、
耳を動かしたりするちょっとした描写がすばらしいです。

実際にナウシカに出てくる生き物はお世辞にも可愛いとは
いえませんが(笑)、動作などを含めると決して嫌いになれない
不思議な魅力を持っています。


女性は快活で、明るいし、
老人は賢くて、尊敬され、元気。
ナウシカでは長老が神話を語り、村人は彼女の知恵を
頼りにしています。

今のアメリカなどでは若いことに価値があり、老人は
老いぼれて容姿も醜く、いやな存在です。
しかし、従来村落などでは老人は生きる知恵を持つ、
尊敬されるべき人間でした。
文化の変化や時代の変化もあるのかもしれませんが、
現在ではそのような扱われ方はされていません。


そして最も根本としてあるのが、
ナウシカのような少女が必ず出てくること。

トトロや千と千尋は少し違うかもしれませんが、
モチーフとして、神聖で、少し神秘的、そして純粋な少女が登場します。

そして多くはそこに少年が出てくる。
こちらも真っ直ぐで勇気がある。

ラピュタやもののけ姫、千と千尋などがそうでしょうか。


あとは、「悪役」というのがいないこと。
勧善懲悪なんて言われますが、大体のストーリーでは
悪役がいて、それを排除して終わりというものが多い中で、
宮崎駿のアニメでは悪役と言えば、必ずと言って良いほど出てきますが、
悪巧みはするけど、それぞれにきちんとした立場があります。
その多くはずっと「悪役」でいることがないというのも特徴です。

中にはラピュタに出てくるような悪役はいますけど(笑)


もうひとつ忘れていました。
食べ物が美味しそうに描かれていますよね。

観ているとよだれが出てくるような、
まるで観てるだけで匂いや味が感じられるような食べ物。

ラピュタで、目玉焼きをトーストにはさんで
食ってるのは忘れられません。


それにアクションもかっこいい。

あの前を向いて真っ直ぐ走る勢いのある動き。
その動きに自然と身体が反応してしまう気持ちよさがあります。


挙げていくときりがないですね。

てな感じで、ちょっと宮崎駿氏がどんなことを作品にしているのかを
考えるのも楽しいです。思想的な面にも注目してみたいですね。
機会があればナウシカの原作も読んでみたいかも。

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posted by Jack at 19:57 | Comment(0) | TrackBack(1) | 批評〜書籍・映画・ドラマ〜 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2007年11月17日

金八先生 第六話「自己主張は金髪で」 この記事をはてなブックマークに登録

金八先生第六話観ました。
今回は何となく素直に響いてこない回でした。

単に理解出来ていないということもあるのかも
しれません。

気になったのが、
自殺しようとしている人を説得して止めさせようという
シュミレーションを教室でやったんですが、最後の一組
以外はみんな失敗。引き止めることが出来ませんでした。
これは自殺抑止ロールプレイングと言って実際に授業に
組み込まれている学校もあるそうです。

それに対し金八先生が内容を振り返ろうということに
なって、失敗したどの組でも、説得する言葉が相手に
届かなかった、つまり心に響かなかったというんです。

なぜ届かなかったのかという問いに対し、
金八先生が答えたのは、それが頭で考えた言葉であるからだ
ということ。
例えば、「あなたが死んだら両親がきっと悲しむよ」という言葉。
これでは今から死のうとしている人を思い留まらせられませんでした。

そして本当に相手の心に響くのは身体から発せられた言葉である
と言います。

頭で考えた言葉と身体から出た言葉。

僕自体はこの話を聞いてすぐになるほどな
という気がしませんでした。

それは僕が単に納得出来るだけの
経験が無かったのかもしれませんが、
もしかしたら金八先生の言葉自体が身体から出ていなかった
からなのかもしれないと少し思いました。

何となく説得力が無い感じがしました。
それは僕が普段と少し違う調子だったからかも
しれないのですが、虚ろに聞こえたのです。


俳優の発する言葉。

それは心に響く言葉なのだろうか。

もちろん映画などを観ていても
ずしんと来る言葉はあります。
でもそれってどうしてなのかは分かりません。


以前映画『ゲド戦記』に対する原作者の
メッセージ(独白に近い)を読んだことがあります。

それによると、登場人物の発する言葉が響かないと言っていました。
これはなぜかと言うと、原作中に出てくる言葉の中の金言のような
ものを選び出したのは良いが、その言葉にキャラクターの実感が
こもっていないとのことでした。つまりその言葉が生まれるまでの
キャラクターの体験や経験が無視されているということです。
コンテクスト(文脈)の欠如ということでしょうか。

もちろん演技者の力量が必要ですが、
その言葉が「リアルであること」がまずは前提にあるということです。


自分の言葉を発する、

ということを考えたときに、金八先生の言うように
頭で考えたことだけでは相手に響かない。
身体から発しなければならないのだとするなら、
これからはもう少し自分の言葉にこだわってみようと思いました。


自殺しようとしている役になったミカですが、
説得に対し、死後の世界があると言う風に答えました。

後で先生がそれぞれのシュミレーションに対し
点数をつけていったのですがミカのグループは
「死後の世界がある」というのは、他人からもらった言葉
だということで0点でした。

それに対し、ミカは、

「どうしてテストでも無いのに点数をつけるんですか」

と問いかけました。そうすると、先生が、

「なぜなら先生だからです」

と答えたのです。


これについてミカは口をつぐんだままシーンが途切れたので
これからどうなるのか分かりませんが、
この言葉に対しても素直に受け止めることは出来ませんでした。

後から理由が示されるかもしれないので
次回に期待ですが、これも「響かなかった」気がします。


サトケンはまだ心を閉ざしたままです。
次回はまたひと波乱あるような気がします。

最初の回のうちににらんでいた
金八先生からの教師へのメッセージですが、
最近はあまり出てこないのであまり大きなものでは
ないかもしれません。

しかし次回は幸作が登場して…。
案外読みははずれていないのかも。
posted by Jack at 20:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 批評〜書籍・映画・ドラマ〜 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

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