2009年11月01日

尊い この記事をはてなブックマークに登録

先日ある人から聞いた話で考えさせられたことがあります。



太平洋戦争の後に生き残った人々は長い間口を閉ざしていた。

この事実に対してあるテレビでは、
それは彼らの経験が悲惨過ぎて思い出すのがはばかられ、
長らく当時のことを語る人がいなかったのだと分析していたそうです。

しかし、そうではない、と。

彼らは自分たちが生き残った側であり、
死んでいった者たちに対して申し訳ないから口を開かなかった。

そして彼らはその罪の意識を持ち続けて生きてきたのだと。


私自身、この話を聞いた時
こみあげてくる思いから、涙をこらえることができませんでした。


今でも何で涙が出てきたのか、はっきりとは分かりません。


ただ、
生き残った人たちはなんてつらい生き方をしてきたのだろう、、、
そう思いました。


Ifは無いと分かっていてもなお、
私がもしそうした状況に置かれたらどうするだろう
と考えてしまいます。


私自身、強い人間では無いので
人の死を背負って生きていくことはとても出来ないと
思います。

批判を承知で言えば、
死んでいった人たちだって残された人が
そうした生き方をすることは決して望まないだろう、、、
とも思うのです。


だからこそ、生き残って申し訳ないと思いながら生きてきた
彼らを尊い(たっとい)と感じました。




人の死について、
最近たまに考えます。

人が死ぬってどういうことなんだろう、
自分が死ぬってどういうことなのかな、とか。

死について考えることって、
生について考えることでもありますよね。

生と死はコインの裏表です。

死が無ければ命の価値など無いに等しい。

有限の命だからこそ、生は尊いのだと思います。

もし、人間が簡単にクローンとかで生き返ったり出来るように
なれば人は命を粗末に扱うようになるでしょう。


でも普段から人生の大切さを意識することって
中々難しいのかもしれません。

なぜなら多くの場合、あるものを失った後に、人って
その大切さに気づくからです。

つまり、自分が死に直面したときに
人生の大切さが分かるということ。


死にそうになった経験ってそんなにあるわけでは
ありませんが、熱でうなされて白昼夢のようなものを
みた時に、ふとそういうことを考えることはありました。



人の死って、生きている人たちに
大きな影響を与えるんだと思います。

正確には生き様と言えばいいのでしょうか。

良いか悪いかという価値判断は無意味ですが、
とにかく影響を与えます。


だからこそ自分自身も、
私が死ぬ時に残していく人たちに
どういった影響を与えるのだろうか、ということを
考えながら生きていく必要があるのだと思います。


といってもまだまだ何かを残せるようなレベルには
無いのが現状ですけど(笑)



最後に気になった歌詞を。

  駄目な映画を盛り上げるために
  簡単に命が捨てられていく
  違う 僕らが見ていたいのは
  希望に満ちた光だ
 
           〜HERO/Mr.Children

命って感動のために消費されるほど
「安い」ものでは無いと、
この曲を聴いて思います。
posted by Jack at 22:04 | Comment(26) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月17日

雑想 この記事をはてなブックマークに登録

地域の遺伝子をみがく(普天社出版)を読んで
いろいろ考えるところがあるのでメモ。

◇家庭について

家庭は共同体の最小単位。
果たして昔から分業は存在していたのだろうか。
桃太郎の有名な冒頭である、「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に…」
は昔からそうだったのか?

そもそも一夫一妻制が主流になったのは、
4世紀に教会が相続に際して息子にのみその権利を認めるようになったからだと記憶している。
(確か文化人類学の教科書にあった。)
そして息子がいない家庭の場合、その土地は教会が没収する。

家族における夫と妻。
夫は稼ぐことによって家計を支え、妻は家事と育児を行う。
でもそれは昔のことで、今はそうした区別は無くなってきているし、
家事を機械がやってくれるようになったから、家事の負担が減った。
このまま家事の外部化(機械化)が進むと、家庭の意味が無くなるような。
残るのは育児のみ。子は鎹。
おそらくだけど、昔は今以上にお互いの助け合い関係があって、
夫婦の仲があったのだと思う。
今はそれぞれの独立化が起こっている。

また、地域コミュニティが育児、家事を支えていたが、
今はそういったものは消滅しつつあり…。
家族はどうなっていくんだろうか。

こういうことが頭に浮かんだのは、
男性の家事の機会が減ったという指摘を読んだから。
昔は日曜大工とかってあったんだけど。

◇普遍
普遍、共通というのは、一般に深いもの、真理だという風に考えていたけど、
実は普遍というのはあらゆる事象の最も浅いものなのかもしれない。

EUなんかを見てても、経済的には統合が進んでるけど、
文化的に一つになるかというとそんな簡単には行かない。
スタンダードって誰もが妥協できるどうでもいい部分という風にも解釈できる。
他のもっと根本的に共通出来ない深い部分では妥協が出来ない。

特殊、固有なものにこそ各個の真理がある。
真理とは一つしかないものではない、という考えは非常に新鮮だった。

非文字、非言語的なものは確かに存在するし、そう言った部分を意識する必要があるのではないか。

◇豊かさ
豊かさって何?物質的な充足感=豊かというのは20世紀的な考えである。
生きがいって何?自我、価値は、関係の中に生まれる。
自分の主体性を発見できる場所で生きることが出来るかどうかで、
豊かさが決まるのかもしれない。

自我の確立ってどういうこと?
自分を自分の世界との関係に捉え直してみること。
「身をわきまえる」ということか。
だとしたら人間は身をわきまえてなんかいないのかもしれない。

現在の都市は関係を持たずに生きられるようになっている…
確かにそうかもしれない。だからこそ、孤独を感じることが多くなっているのかもしれない。
旅行、ボランティアというのは新たな出会いに対する衝動からやりたくなるのかもとか。


◇権利
権利って与えられているものだという認識があるかもしれないが、
基本的に権利は勝ち取るもの。それも関係の中で。
認めてもらって初めて権利が生じる。
そのためには技を身につける必要がある。

◇大は小を兼ねる?

大きいことは良いことという考えがあるけど、
小さいことにこそ本当の良さがあるという考えもある。
ある意味誰もが認める価値よりも、一部が信じる価値に重きを置くということ。

お金が世界の価値を計るものさしとして使われているけど、それ以外のものさしを
個別に持つことが大事になってくるのかもしれない。


この先も成長し続けるというのは幻想かもしれないし、
資本主義の行きつく先に人類の幸福があるのかというと疑問。
GDPって増え続ければそれで日本が「豊か」になるのかと言われると
正直分からない。
グローバルに考えれば考えるほど、資本主義の中では
貧富の差が世界レベルで進行するだけで、一国内での貧富の差は是正出来ても、
世界レベルでそれは可能なのかというと、それを管理するシステムなんて存在しない。
発展途上国が発展するというのは、そのまま先進国が衰退することでもあるのではないか。



いやーーーー、ひどい文章だ(笑)
混乱させてしまったら、ごめんなさい…。

本来ならこういうのって公開しない方が良いのかもしれません。
posted by Jack at 20:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年04月27日

ベストを求めるな この記事をはてなブックマークに登録

季節感とか曜日感とか最近あまりないです。

4月上旬の面接の頃に、
最初の自己紹介の後、季節の話になって、
「桜咲いてるの観ました?」
なんて聞かれたときにちょっと唖然としたのを思い出します。

その後無理やり上野公園で、暑い日差しの中
桜を見ました。隣に座ったおじさんから漂うビールとイカのにおいが
記憶に残っています。


そうそう、最近読んだマンガか何かにあった言葉に、

「ベストを求めるな、ベターを求めろ」
っていうのがありました。


イマイチ自分でもこの言葉は消化出来てないのですが、
ベストっていうのは、何となく今ある選択肢だけでなく、
全ての可能性の中で今一番良いもの、というイメージがあり、
ベターは今ある選択肢の中でそれぞれを比べながら良いものを
選び取っていくようなイメージです。

なので、ベストっていうとあらゆる可能性を頭に入れようとしてしまい、
途端に思考停止してしまいます。
その点ベターであれば、脳内でトーナメント戦みたいな感じで、
一個いっこの選択肢を比べながら良いものを残すので、
処理しきれます。

自己分析や業界分析をそれぞれ進め、
それに並行して企業研究も行ってきたのですが、
例え自己分析であっても自分のことを完全に知ることなんてできないし、
企業の分からない部分なんていくらでもあります。
時間と労力は限られているので、
不完全な情報から選択をするしかないわけです。


はっきり言って、就職活動が今までの人生で
最も大きな決断だったのかもしれません。
ここで言う決断というのは、答えの無い問題に対して
自分なりの固有解を導き出すという行為のことです。

もちろん高校進学や大学進学ではある程度自分の進路を
考えながら自分の進むところを決めたのですが、
中学時代、高校時代の自分を思い返すと、
勉強の目的なんて分かっていないに等しく、
情報、行動範囲も極端に限られ、5〜10個くらいの選択肢から
選ぶようなものでした。

偏差値とか自分の成績が大きく選択肢を制限していたこともありますが、
例えば中学では、学区内にある7つの高校で
どこに行くかみたいな決断をしました。
その時は学区外の高校に行くことなんて微塵も考えませんでした。

徐々に高校、大学に進むにつれて、得られる情報、行動範囲、
自分が大事にするものなども大きく変化し、
より幅広い選択肢の中で決断することになりました。

その点で就職活動では、
企業は星の数ほどありますし(それは言いすぎですね)
勤務地は全国、海外に及ぶこともあります。
職種だって様々ですし、いろいろな働き方があります。

企業数×職種×勤務地×働き方≒∞

なわけで、そこからベストな選択なんて出来ないような気もします。


日本人は正解の無い問題に対して固有解を導くことに不得手だと思うのですが、
それは受験至上主義的、受動的な教育のせいかもしれませんね。

ただ、社会に出てからは嫌でも正解のない問題にぶち当たります。

これに対しては今のうちからどうやってアプローチするのかを
整理しておく必要があるかもしれません。
今回就職活動で行ってきた様々な方法は、
きっと社会に出てからも必要なことだと思います。


さて、ここまで書いてみると、
結果だけでは無くて過程も大事なんだなということに気が付きました。

例えば、ろくに企業選びもせずに、
ただやみくもに企業を受けて、そこから
”いい結果”(大企業に内定をもらうこと)を出した人と、
苦労しながらいろんなアプローチで企業を選び、
最終的には納得出来る企業から内定をもらう人、
どっちが良いのかって考えると一概に
どっちが良いのか分からないですし。


以上、久し振りの更新でした。
posted by Jack at 03:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年12月16日

シッコにみる、国家の福祉のあり方 この記事をはてなブックマークに登録

最近今になってマイケル・ムーアの映画「シッコ」(Sicko)
を観たのですが、衝撃的な映画でした。

国民皆保険の無いアメリカ。
(メディケア、メディケイドはあります。前者は65歳以上の高齢者が対象で、
後者は一定水準以下の所得の方に与えられています。)

私的な医療保険には、約3億人の国民のうち、
2億5000万人が加入しています。

しかし、そこには大きな問題がありました。

通常保険料が下りるためには医師の診断を経て
保険会社の認可を得る必要があります。

そこで実はかなりの確率で認可されないことが明らかにされます。
また、その認定に携わる医師達は、非認可率が高ければ高いほど
高報酬になるという給与体系が与えられています。

それによって医学知識を縦横無尽に用いながら、否認するという
インセンティブが認定医に与えられてしまっているのです。



福祉政策は国が行う最も基本的な機能の一つですが、
その福祉をどのレベルまで提供するかにおいては、考えが二分化されます。

すなわち、大きな政府(福祉国家)と小さな政府(夜警国家)です。

前者の考えは社会民主主義の考え方が強い北欧などに代表され、
後者の考えは新自由主義(あるいは保守主義)の考えが強いアメリカなどが主です。

(僕の理解ですと、新自由主義; Neoliberalismは元々自由主義であった人達が
保守の方向に大きく動いてことで生じた考え方であるのに対し、
新保守主義; Neoconservativeはその逆です。)

基本的に福祉国家においては、国民に大きな税負担を強いることと引き換えに
授業料免除や年金、医療保険など、寛大な福祉を提供します。

一方夜警国家においては、基本的には国家が行う福祉提供は
最低限にするべきであるとし、それぞれの福祉は個々人、
各家庭に任せるという姿勢です。
ここでは自己責任という言葉が象徴的かもしれません。


現在保険会社と医薬品会社の、政府とのつながりは
精力的なロビー活動によって非常に強固なものとなっています。
国民皆保険などは当分実現しそうにもありません。

しかし、オバマ大統領は民主党出身であり、
国民皆保険に対して前向きな考えを示しています。
今後従来の勢力図が変わり、アメリカも大きな政府へと
動いていくことも十分考えられるのではないでしょうか。

こうした状況を踏まえつつ、
国家の福祉はどうあるべきなのかを今後考えられれば良いなと思っています。


それにしても、
アメリカ人って肥満体型の方が多いですね。

マイケル・ムーアもしかり、映画に登場した人の
7〜8割はそうだったような気がします。

そりゃあ、成人病にもなりますし、怪我だって
しやすいと思います。
posted by Jack at 11:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2008年11月25日

靴磨きのお店 この記事をはてなブックマークに登録

実は先週末東京へ行っていた際に、
靴磨きのお店へ行ってきました。

以前インターンでお世話になった人事部長の方が
紹介してくれたところなのですが、
住所を調べて何とか見つけ出すことが出来ました。

場所は青山学院大学の近くにありました。

二階にあったので階段を登ると外からは見えない入口。
何となくレトロな雰囲気が漂ってくるドアを恐るおそる開けてみます。

「いらっしゃいませ。」

という声が聞こえますが、店員の姿はまだ見えません。
入口から狭い廊下を進んでいくと、右手にカウンターがあり、
そのカウンターで一人の若い方が靴を磨いていました。

流れているのはJazz系の曲。
丁度シンナーの鼻に付く臭いがほんのり感じられます。

良く周りを見回すと棚だなにいろんな皮靴がありました。


僕のイメージだと、靴磨きって座っているお客がいて、
客が突き出した足をしゃがみながら磨いているイメージがあるんですが、
全然そんな感じではなかったです。


さっそく紹介していただいた旨を伝えると、
僕の靴を磨きはじめてくれました。

磨き方なのですが、
ワックスをつけるときなどは、人差し指と中指を
伸縮性のあるフェルトのような布で一緒に巻いて、
その指の腹で靴を磨いていきます。

革に対するケアなどをちょっとお聞きしました。
磨いていただいた方(Aさん)は店主では無いとおっしゃってました。

何年くらい靴を磨いていらっしゃるんですか

と聞いたところ二年くらいでしょうかという答えが。


靴を磨くことを専門としたお店があるっていうのは
僕としてはとても新鮮で、次に聞きたくなったのは、
どうして靴を磨く仕事を始めたのかということ。


丁度Aさんは二年前絵を描きながら日本を回っていたのだそうです。
そして時を同じくして店主の方は靴を磨きながら日本を回っていました。

そこで二人が出会い、今にいたるというのです。


ワックスを塗り、布で磨いていくと
みるみる磨かれた部分が黒い光沢を帯びていきます。

磨き終わった靴は、買った時よりもきれいで、
上品になっていて微笑んでしまいました。



おしゃれは足元からと言いますが、
社会人にとっても、足元からしっかり
清潔を心がけ、ピカピカの靴にパリッとした
スーツとYシャツを着ることは、その人の
気持ちをシャキッとさせると思います。

僕はスーツを着ると自然と背筋が伸びますね(笑)

インターンで別の人事の方も、
靴は毎日磨いてきてから出社してくださいと
仰っていましたし、靴は重要ですよね。


僕も今後就活で面接に臨むことになりますが、
ここぞというときは、またそのお店にお世話になろうかなと
思っています。
posted by Jack at 23:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

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