2007年11月30日

文化人類学という学問 この記事をはてなブックマークに登録

大学で半年間文化人類学の授業を
取ったことがあります。
プレゼンを毎週のようにやらされて
すごく大変だったのですが、同時に
考えさせられるテーマがいくつもあり、
とても充実した授業だったと思います。

文化人類学でどのようなことをやるのかを
ちょっと説明する機会があって、
せっかくなので勉強したことを少しだけ書いてみます。
出来るだけ分かりやすく書くように頑張りたいと思います。


<文化人類学の学問的な位置>

まず文化人類学の位置づけについてですが、
人類学
の一つの分野で、また、社会人類学と呼ばれることもあります。
日本では民族学、あるいは民俗学という呼び名の方が
一般的かもしれません。(※1)

人類学は一般に大きく四つの分野に分けられ、
自然人類学形質人類学)、考古学言語学文化人類学
となっています。

自然人類学は、進化論や霊長類の研究などを考えれば
人類と関わってくるし、考古学はエジプトの遺跡発掘などや
有史以前の研究、言語学では人類を知る上では欠かすことが出来ない言葉、

そして最後にこれから紹介する文化人類学が人間の築き上げてきた文化を
研究対象とするわけです。

一言で文化人類学がどのような学問かを説明するのは
とても難しいのですが、基本的に人間の文化や社会を総合的に

研究する学問です(そのまんまですね 笑)


<文化人類学の研究手法>

授業の前半に勉強したのが、
文化人類学者の研究の手法のようなものです。
もちろん基本的に文化を研究するわけですが、
研究方法としては大きく二つあります。

一つは民族誌、あるいは民族誌学と呼ばれます。
これは主に、フィールドワーク、つまり実地に研究者が赴いて
ある特定の文化を観察して、それを民族誌という記録にする方法です。

一つの文化を研究するとしたら、テレビやその文化に関する本を
読むよりも実際に現地に行ったほうがより価値のある研究が出来る
訳です。「百聞は一見に如かず」と言いますがまさにそのとおりです。


もう一つは、民族学です。
はっきり言って言葉的に混乱してしまうと思いますが、
上手い日本語訳が無いので、ひとまずここでは
文化人類学の一部としてこういう方法があるという意味で
この言葉を考えてください(※2)

ではこれは何をするかというと、民族誌を元に
文化比較などをして研究することです。これによって
文化一般に関する理論などを考えていくわけです。ということで
どちらかと言えば科学的なアプローチですね。

以下で僕は民族誌学の方を主に考えたいと思います。
なぜならそちらのほうが興味深いからです。


民族誌学としての文化人類学

文化人類学を考える上で重要なのは、その発展です。
そもそもこの学問が主に西洋文化では無いものを研究対象にしてきた
というのをまず頭に置いておくべきです。

想像して言うなら、大航海時代、植民地時代を経て、
西洋とは明らかに違う文化が明らかになり、
その文化に純粋に興味を持つ学者が出てきたということです。

これは、僕たちがテレビで「世界ウルルン滞在記」を観て、
こんな文化があるのかと、興味をそそられるのと
同じ動機であったと思います。

言葉にして言えば、エキゾチックな文化。

オリエンタリズムというのは、東洋風のとか訳されますが、
これもある意味その流れとして考えられます。
西洋人が東洋の神秘を感じるということですね(笑)

それで実際にその文化を研究するためには
現地へ行って観察・体験するのが早いのですが、
フィールドワークを進める上でそこでいくつかの問題が出てきました。
そしてその問題に対処することで調査手法を発達させてきたわけです。


一番大きな問題としてあったのが、
自民族中心主義、あるいは自文化中心主義です。

西洋人から言わせれば、白人文化が優れているという考えですね。
この学問が発達し始めた段階ではこの研究に関わっていた
学者が多くが白人であり、研究対象が悪く言えば「未成熟な」文化、
「野蛮な」文化と考えたのでした。
これは先ほど言ったように「世界ウルルン滞在記」とかでやってる内容
を観て、生活面では衛生面、あるいは機械類が無いし、技術的に
「劣っている」という風に感じるし、「汚い」とか、「変な」食べ物
を食べていることに驚いたりすることを考えれば分かるでしょう。

また、白人はアフリカや南アメリカなどの「野蛮な」文化を知る過程で、

白色人種が人類の進化の段階の上で最も優れた人種である、
そして黒色人種や黄色人種は劣っており、我々が導いていかなければ
ならない

という考えを発達させました。
更にはそれが植民地侵略の動機の一部になり、皮肉なことに
文化人類学が、この考えに学問的な担保を与えてしまったのでした。

しかし、実際にはそれらの文化自体が劣っているわけではありません。
そして文化に優劣を付けることは争いの原因になることは歴史が
示す通りです。


自らの文化が優れていると考える見方は
なかなか捨てられるものではありません。
自分の暮らしてきた、慣れてきた文化とあまりにも違う、
だからそこで拒否反応が起こったり、冷静に観察が出来ないことが
しばしば起こります。

バイアスのかかった見方をしてしまうのです。

さらに言えば、
もしその文化に否定的であれば、反応として出てしまうものだし、
そこに暮らしている人々もその研究者を受け入れてくれないでしょう。

研究なので出来るだけ客観的に観察し、記録する必要があるのですが、
そういった意味で問題が出てきました。


また、その文化をしっかりと研究し、記録するためには
実際に研究者自身がその文化へと適応する必要があります。
これは簡単に例えば、よその家庭を良く知るためには数日泊まっただけでは
分からないのと一緒で、根本にあるいろいろな価値観や暮らしぶりなどを
「深く」知るためには時間がかかるのです。
そこでもやはり問題が出てきます。

やはり生まれてずっと慣れてきた文化から別の文化へと移り、
その文化を客観的に捉えるというのはなかなか容易なことではありません。

カルチャーショックというのを海外では誰しも経験すると言いますが、
(もちろん僕も軽い程度のカルチャーショックは受けました。)
自分の文化と新たに経験する文化の違いが大きければ大きいほど
その度合いは強いものになるそうです。
生活面だけではなく倫理感や宗教観の相違などいくつもの困難があります。

極端な例だと、さっき言った「世界ウルルン滞在記」で、
ある人がアフリカの僻地に行ったというような場合を想像すれば分かる
のではないでしょうか。食生活は違うし、住み心地が良いわけがありません。


そこでどうすればいいのかということですが、
おそらく出来るだけ自分の文化に囚われないようにする、
そして具体的には多くの文化を経験し、視点を相対化する
以外に無いと思われます。
(これが文化相対主義ですね。)

だから研究者は研究までに他の文化を経験している人が
適しているとも言われています。


また、実際にその社会に溶け込む方法として面白いのが、

研究者は出来るだけ赤ちゃんのように、つまり
何もかもを新しいものとして捉える(=偏見が無い)ことによって
客観的にその文化を研究するという方法です。

あるいは、何でも書き込める白紙のように新しい文化に向かうと
言っても良いでしょうか。

全てを新しいものだと思い、興味を持って質問していくという
態度でもあります。また好意的、興味があるほどその文化にいる
住民の態度も良くなるし、心を開きやすいと思います。


こんな感じのことを授業の前半の方ででやりました。

大分長くなってしまいました。
内容について入れませんでしたね(苦笑)

また機会があれば実際にどんなことを
具体的に勉強したのかを書きたいと思います。



余談ですが、
有名な人類学者として、
『菊と刀』(原題:The Chrysanthemum and the Sword)を記した
アメリカ人のルース・ベネディクトがいます。
彼女は日本の文化を西洋の文化と比較して日本の文化を
明らかにしようと試みました。
しかし、当時の状況もあり実際に日本へと赴くことは出来ず、
内容についても批判が出ています。
それでも名著として読む価値はあると思います。

ちなみに僕はまだ読んでいません(苦笑)
しかし、『武士道』とともに留学中の大学からの指定図書でもあるので
是非読んでみたいと思います。


そういえば、日本の文化ということで思い出したんですが、
サミュエル・ハンチントンが『文明と衝突』という本で
8つないしは7つの文明があるとし、その中で日本を文明の一つとして
あげています。

具体的には
中華文明(儒教的な文明)、日本文明、西欧文明(キリスト教的)、
イスラム文明、ヒンドゥー文明、東方正教会文明(Orthodox)、
ラテンアメリカ文明、アフリカ文明、
そしてそのどれにも属さない文明です。
これを観ると大きくは地政学的な面と宗教分布的な面の
二つが大きく分ける理由となっていますね。


※1、僕のイメージでは、民俗学がどちらかと言えば
研究手法(民族誌やフィールドワーク)もそうですが文化人類学に
近いと思っていたのですが、どうやら民族学が対応するようです。
どちらかと言えば民族学の方が調査法もですが科学的なのかも。

ちなみに民俗学で有名なのは折口信夫(しのぶと読む)や
柳田國男です。

※2、英語では前者がEthnography、後者がEthnologyとなっており、
文化人類学=Cultural Anthropology、民族学=Ethnologyで、
実際には文化人類学と民族学は区別されるべきなのですが、
混用されています。とりあえず民族学は広い意味での文化人類学
の一部分だと考えて欲しいと思います。


菊と刀―日本文化の型 (講談社学術文庫)

文明の衝突

アマゾンのこれにも大分慣れてきました。
別にアマゾンで買わなくてももちろん
構いません。中古でも良いし図書館でも。
(僕はほとんど中古だし 笑)
またそういうのを探すのが楽しいときだって
ありますよね。偶然面白い本を見つけたり。

posted by Jack at 07:58 | Comment(2) | TrackBack(0) | 大学・学問 | このエントリーを含むはてなブックマーク |
この記事へのコメント
今、取っている授業も本当は興味本位だったんだけれど、かなり日本人と留学生とでは見え方っていうは違うんだなっていう風に感じています。

こういった歴史をきちんと認識する事で何かが変わってくるんだろうね。
個人的にこの授業には興味があったんだけれど、全然どういう内容をやるのか想像ができなかったので、今回JACKがこういったわかりやすい記事を書いてくれたのはすごいありがたかったです。

にしても、文化人類学の先生にせよ、色々な授業を教えすぎなような…。笑
Posted by JUGE at 2007年12月03日 00:02
もちろん知識をたくさんもっている
先生というのは必要かもしれないけど、
大学の先生というのは本来は自分の
研究を持っていて、それを生徒と共有していく
というのがあるんだよね。
だからいろいろな授業を持っている先生もいるのかも。
結構あの先生は生徒を積極的に参加させて、
一緒に知識を高めていくというスタイルなのかもしれないね。
Posted by From管理人 at 2007年12月07日 01:50
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