2007年11月27日

原石と挑戦〜それにつけて考える職業観〜 この記事をはてなブックマークに登録

今日、期末試験のエッセイをやらなければいけないのに
『耳をすませば』とか観てしまいました。

そろそろ手をつけないといけないんですけどね。
でも運よくセミナーで書いたエッセイがファイナルとかぶっていたので、
あとはそれに更に細かい部分を加えて質を高めるだけなので、
がんばりたいと思います。


この映画を観るのはたぶん5回目くらいなのですが、
毎回観るころには都合よく、大分ストーリーを忘れているので
いつも感動しますね(笑)

有り得ないことが起こるとか、心理描写が稚拙なんて批判する人も
いるかもしれませんが、リアルさなら別の小説に望めば良いし、
ストーリーは素晴らしいと思います。目を離す暇が無いというか、
わくわくするのが止まりません。特に後半部。

あ、ちなみに立花隆が雫の父親役の声優だというのは
最近知りました(笑)



この映画で今回思ったのが、
原石と挑戦です。

聖司のおじいさんが雫に原石を見せてこんな話をします。


この原石の中に見える大きな部分は、
実は磨いても大して輝かないものなんだ。
それよりもその奥に見える小さな部分の方が
きれいで磨けば美しい宝石になる。
しかし見えない部分にもしかしたらもっと素晴らしい部分が
あるかもしれない。


これを聞いていて、
ああ、そういうこともあるかもしれないと思いました。

得意な部分、いわゆる才能のある部分を延ばして
それを仕事に結びつけるというのが僕の就職のイメージにはあって、

これから数年もしないうちに仕事に就職するわけで、
出来るだけ得意な部分を活かしたいなとも思うわけです。

それで最近僕には何が向いているんだろうとか
何が得意だろうかということを考えます。
ではどんなことあるかといえば、
まず考えることは得意かなと。それにものを書くのは好きというのも
あります。もちろん小説を書いてみようとかは思いませんけど。
あとは器用なところくらいでしょうか…(笑)


でも、今回の話に照らしてみると、
じゃあそれが今一番大きく見えるからって
それを磨いても実はあまりたいしたことなかったらどうしよう、
小さく見える部分がもっと輝く価値のあるものだったらどうだろうか、
そんなことを考えてしまいます。


自分の中にある一番きれいな原石はどれだろうか。


それは分かりません。
ですが、磨いてみないことには分かりません。

また、磨いた石が宝石となるというのは、
社会で役に立つこと、つまり社会に認められる価値のあるもの
だということでもあります。


じゃあ試してみようということです

作品に話を戻すと、雫はバイオリン職人を目指す聖司を見て
焦りを覚え、物語を書いてみようと決意します。
自分を試してみたいと言うわけです。

挑戦ですね。


で、僕は今何が出来るだろうかって考えたときに、
まず一番最初に頭に浮かんだのが、文章を書いてみよう
ということです。たまたま雫とかぶっているわけですが、
とりあえず考えたことを形にしようと思いました。

それでちょくちょくブログでいろいろ書いたりしてます(苦笑)
ブログを始めて半年くらいですが、気づいたのは、
他にもたくさんの優れたブロガーがいること。そして、
そのレベルを目指すには今の知識ではなかなか追いつかないな
ということ。読書量の不足もありますね。

本来なら留学中にこんなにたくさん日記を更新してるのは
おかしいのかもしれないんですが、そういうのも理由であったりします。

もちろん英語だってもっと上達しなきゃいけないので、
いろいろすべきだとは思うのですが、もともと国語力も無いといけないなとは
感じていました。それに国語力が無いのに英語が上達するわけないはずです。
昔英語の先生に言われたのが、同じ英語力でも、
国語力のある方が伸びるということです。高校の友達で理系なのに
僕より格段国語力が高い人がいたんですが、その人は英語が苦手でした。
だからもしかしたらその説は正しくないのかもしれませんね(笑)
将来的には英語でもしっかりと学問的にもしっかりと使えるレベルには
なれたらいいと思っているので、今国語力も一緒に高めようとしているのは
無駄ではないかなと(これって自己肯定なのかな?)


これも一種の挑戦だと思っています。
ただこれと言った目的というか目標が明確にないので、
それは見つけないといけないんでしょうね。
あえて言えば読まれる価値のあるようなものを
書き続けていこうということでしょうか。すぐに
成果が分からないのでややつらいですが、がんばりたいと
思います。

じゃあその先にジャーナリストとか新聞記者があるかと言われれば
どうなんでしょうね。非常に難しいところです。



なんとなく就職をしたら蚊取り線香みたいに
そのままずーっといっちゃう気がして、それまでにはしっかりと
考えておきたいというのもあります。

ですが、適職があると言う風には僕は考えていません。

イメージとしてはパズルのピースがぱちっと
はまるような。


でもそんな場所は実はどこにもなくって、自ら形を変えていかないと
だめなんじゃないか。

そういうことです。


適性とかそういう類のものも、可能性としてそっちの方面もあるんじゃないのか
というのを示してくれる参考にはなりますが、
それ以上の意味は持たない気がします。


内田樹さんのブログで以前適職、適性ということに関して
書いていたのを読みました。(参照

日本の高校や大学でキャリア教育が行われるようになったのはこの10年ほどのことである。
そこでは「自分の適性にあった仕事を探すこと」が組織的に勧奨されてきた。
そういう教育を10年やったら、離職・転職を重ねる“ローリング・ストーン族”、フリーター、ニート、「自分探しの旅人」ばかり増えてしまった。
<中略>
[リクルートによって](※筆者)若者たちは「この広い世界のどこかに自分の適性にぴったり合ったたった一つの仕事が存在する」という信憑を刷り込まれる。
もちろん、そのような仕事は存在しない。
だから、「自分の適性にぴったり合ったたった一つの仕事」を探して若者たちは終わりのない長い放浪の旅に出ることになる。
<中略>
この思考は「自分の個性にぴったり合ったたった一人の配偶者がこの世界のどこかにいる」という信憑と同型のものである。

内田樹の研究室「人生はミスマッチ」より

適職、あるいは天職という言葉がありますが、
その言葉に引きずられることによって、
そういうものがあると信じてしまうということです。
ですが現実には、
そのようなものが存在するのではなく、
自らが能力を磨いて、

ふさわしい「ピース」になるわけです。


どこかのピースになるのであれば、僕は、

「最高」のピースになりたい

と思っています。


これについては、R25でインタビューを受けていた
福井晴敏が昔を振り返って、
「求められる場で、自分の力を発揮するのが楽しかった」
また、
「最高のネジやエンジンになってみせるところが、一番面白い」
と言っています。

これは僕の考えにかなり近いのかもしれません。

じゃあどこのピースになるかというと、
それは迷うところ。


それをこれからは考えていかないといけない。
そしてその為にはより社会を、世界を知らなければならない。

難しい問題です。




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耳をすませば

これは見せなくても誰でも知ってるか(笑)

今日は窓からおぼろ月(満月)が見えます。
そういえばこれに出てくる猫もムーンって言ったっけ。


ついでに最近読んでる『俺たちのR25時代』も。
福井晴敏さんのインタビューもこれで読みました。
2種類書店にあったんですが、両方買って、片方は
友達にプレゼントしました。
楳図かずおさんとか石田衣良さん、武田鉄矢さん、糸井重里さん
なんていう人たちが出ていて面白いです。
Amazon

俺たちのR25時代 (日経ビジネス人文庫)

posted by Jack at 06:07 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーを含むはてなブックマーク |
この記事へのコメント
今回のjackの日記はある意味、とても人間らしくていいなって思いました。
(別に変な意味はないんだけれど)

いいね!
読んでみて頑張ろうって気持ちになります!

自分なりに社会のピースになれるように…そういう道時間はかかるけれど探してみます。
Posted by JUGE at 2007年11月30日 02:31
人間らしいって(笑)

励ますことが出来たなら幸いです。

時間はかかるけど、
どこで自分の長所が活かせるかを
吟味する時間は欲しいよね。
でももしかしたら思ってもみない
ところに才能を発揮したりするから
やってみないとわからないっていう面もあるかも。
Posted by From管理人 at 2007年11月30日 09:38
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