2009年05月17日

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地域の遺伝子をみがく(普天社出版)を読んで
いろいろ考えるところがあるのでメモ。

◇家庭について

家庭は共同体の最小単位。
果たして昔から分業は存在していたのだろうか。
桃太郎の有名な冒頭である、「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に…」
は昔からそうだったのか?

そもそも一夫一妻制が主流になったのは、
4世紀に教会が相続に際して息子にのみその権利を認めるようになったからだと記憶している。
(確か文化人類学の教科書にあった。)
そして息子がいない家庭の場合、その土地は教会が没収する。

家族における夫と妻。
夫は稼ぐことによって家計を支え、妻は家事と育児を行う。
でもそれは昔のことで、今はそうした区別は無くなってきているし、
家事を機械がやってくれるようになったから、家事の負担が減った。
このまま家事の外部化(機械化)が進むと、家庭の意味が無くなるような。
残るのは育児のみ。子は鎹。
おそらくだけど、昔は今以上にお互いの助け合い関係があって、
夫婦の仲があったのだと思う。
今はそれぞれの独立化が起こっている。

また、地域コミュニティが育児、家事を支えていたが、
今はそういったものは消滅しつつあり…。
家族はどうなっていくんだろうか。

こういうことが頭に浮かんだのは、
男性の家事の機会が減ったという指摘を読んだから。
昔は日曜大工とかってあったんだけど。

◇普遍
普遍、共通というのは、一般に深いもの、真理だという風に考えていたけど、
実は普遍というのはあらゆる事象の最も浅いものなのかもしれない。

EUなんかを見てても、経済的には統合が進んでるけど、
文化的に一つになるかというとそんな簡単には行かない。
スタンダードって誰もが妥協できるどうでもいい部分という風にも解釈できる。
他のもっと根本的に共通出来ない深い部分では妥協が出来ない。

特殊、固有なものにこそ各個の真理がある。
真理とは一つしかないものではない、という考えは非常に新鮮だった。

非文字、非言語的なものは確かに存在するし、そう言った部分を意識する必要があるのではないか。

◇豊かさ
豊かさって何?物質的な充足感=豊かというのは20世紀的な考えである。
生きがいって何?自我、価値は、関係の中に生まれる。
自分の主体性を発見できる場所で生きることが出来るかどうかで、
豊かさが決まるのかもしれない。

自我の確立ってどういうこと?
自分を自分の世界との関係に捉え直してみること。
「身をわきまえる」ということか。
だとしたら人間は身をわきまえてなんかいないのかもしれない。

現在の都市は関係を持たずに生きられるようになっている…
確かにそうかもしれない。だからこそ、孤独を感じることが多くなっているのかもしれない。
旅行、ボランティアというのは新たな出会いに対する衝動からやりたくなるのかもとか。


◇権利
権利って与えられているものだという認識があるかもしれないが、
基本的に権利は勝ち取るもの。それも関係の中で。
認めてもらって初めて権利が生じる。
そのためには技を身につける必要がある。

◇大は小を兼ねる?

大きいことは良いことという考えがあるけど、
小さいことにこそ本当の良さがあるという考えもある。
ある意味誰もが認める価値よりも、一部が信じる価値に重きを置くということ。

お金が世界の価値を計るものさしとして使われているけど、それ以外のものさしを
個別に持つことが大事になってくるのかもしれない。


この先も成長し続けるというのは幻想かもしれないし、
資本主義の行きつく先に人類の幸福があるのかというと疑問。
GDPって増え続ければそれで日本が「豊か」になるのかと言われると
正直分からない。
グローバルに考えれば考えるほど、資本主義の中では
貧富の差が世界レベルで進行するだけで、一国内での貧富の差は是正出来ても、
世界レベルでそれは可能なのかというと、それを管理するシステムなんて存在しない。
発展途上国が発展するというのは、そのまま先進国が衰退することでもあるのではないか。



いやーーーー、ひどい文章だ(笑)
混乱させてしまったら、ごめんなさい…。

本来ならこういうのって公開しない方が良いのかもしれません。
posted by Jack at 20:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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