2009年02月01日

続・自分の軸について振り返る この記事をはてなブックマークに登録

会社を選ぶときの基準は何ですか

という質問を出された時に僕の軸について話すのですが、
そう思うに至ったきっかけについて毎回聞かれます。

この時に何かエピソードを話そうと思うのですが、
毎回少し考えてしまいます。

やはりいくつか考えられるきっかけはあります。
留学先での三つのきっかけを考えたあと、
更に考えてみると、三人の目標としたい人物がいるのに
気が付きました。長くなりますが、それぞれについて考えてみます。


<三つのエピソード>

留学先での経験です。

海外の留学生に日本のことを知ってもらうのはとてもうれしいことでした。
宮崎駿のアニメや、日本の芸術家、映画監督などを知っているのを聞くと
日本ってこんなに海外の人に知れ渡ってるんだと驚きつつも、もっと
様々な面で日本のことを知ってほしいと思いました。

そういえば
ノルウェー人の友達がDSで応援団にはまっているなんてこともありました(笑)

自分の中での意識としてはメッセンジャーになるという使命感と喜びが
あったのだと思います。

海外に出たら嫌でも自分が日本人であるということを認識させられます。
その中で例えば靖国問題についてフランス人に話し合ったりすることもあり、
そうした中で日本の過去についても向き合わなければなりませんでした。

僕は幸運にも受験時代に予備校で世界史を受講しており、
世界における日本という視点をある程度は持っていたのですが、
何となく昔から日本のやったことに対して後ろめたさのようなものを感じていました。
正史とは勝者の視点で綴られると誰かが言っていたのを覚えています。

もし日本のグローバル化が進み、ソフト・ハードともに世界で親しまれるようになれば、
そうした日本に対する悪い感情も無くなっていくのではないかと漠然と考えていたのかも
しれません。


あとは、海外を電車で回っていた際に、ソニーの看板があったりすると
少しうれしかったりしたのですが、それよりも圧倒的に多かったのが
SAMSUNGの看板です。そこで、まだまだ日本の企業って海外に出ていく
必要があると感じました。


このメッセンジャー体験、日本人としてのアイデンティティーの問題、海外での焦り
という三つが軸を作っていったきっかけとしては考えられます。

そして、オスロ(ノルウェー)で住友商事の方とお会いしていろいろと話させて
いただいた際にも漠然とそうした思いが固まりつつあったのを覚えています。



<三人の尊敬する人物>

ただ、どれも決定打に欠けるという印象は否めません。

そこで、留学より前にさかのぼって見ました。
思い当たったのは三人の僕が尊敬する、あるいは
モデルとする人物でした。


中学生の頃から自分の視野を広げたいという思いはあり、
海外の人とコミュニケーションを取りたいと考えていました。

それでちょっと考えていると、中学生のころに英語の教科書で新渡戸稲造についての
文章があったのを思い出しました。

日本と世界をつなぐ、「太平洋のかけ橋」になりたい

という言葉が印象的でした。そんな大きな理想を抱いてアメリカに旅立った
新渡戸に憧れのようなものを持っていたのかもしれません。

(そういえば偉人で言うと、小学生の頃は野口英世の伝記に感動し、
野口英世の映画(遠き落日)を何度も観ていた記憶があります。)


大学生になって初めのころ、松田公太さんというタリーズコーヒーの前社長
の講演会に参加しました。

流暢な英語で子供時代から食に携わるようになった思い出を語っていたのを
鮮明に覚えています。
セネガルでの出来事、アメリカでの出来事を通して、

「食を通して日本文化を世界に伝える」

というのが人生における目的だと考えるようになったそうです。

人生の中で起業して活躍している人物をこの眼で見たのは
実はこれが初めてでした。
情熱を持ってタリーズの魅力を語っていた松田さんは
とても格好良かったです。30代であんな風に活躍出来たらなとも思いました。


三人目は大前研一さんです。
留学中にコソボ独立問題があったのを覚えているでしょうか。

確か2月の中旬だったと思うのですが、
コソボの独立が騒がれたころ、セルビア・ロシアだけは断固として
独立に反対しました。

ここでロシアがなぜ反対するのかがどうしても分かりませんでした。
ロシアは国際法違反を繰り返し主張していたのですが、
本当にそれが反対する理由なのかどうかわからなかったからです。
汎スラブ主義で、スラブ系であるセルビア人が多いセルビアに味方する
というのも一つの見方にはありましたが、ちょっと理由としてはいまいちだと
感じました。

他にも欧州に対して反対することで存在感を示そうとした、
自国内にまで独立の動きが波及するのを防ぎたかった
というようなことも理由としては挙げられていましたが、
他に何かあると僕は考えていました。
(今となっては波及の阻止については一理あるとは思いますけど)

そこで注目したのがロシアのパイプライン建設の動きです。
当時はロシアから黒海、そしてイタリアまでをパイプラインで結ぶ計画が
ありました。実際にブルガリアとセルビアでは領土内に南欧ルートを建設することで
それぞれ合意していました。

なのでセルビアに味方することで、パイプライン建造計画に
支障がいかないようにする計算があったのではないかということを
考えたのです。(参照

そしたら、丁度同じころに大前研一さんがセルビア問題について、
パイプライン建設について触れながら、ロシアの動きについて考察していたので
少し大前研一さんに興味が沸いたのです。
彼についてはそれまでほとんど知らなかったので。

それでいろいろ調べてみたら、
かなり面白い人で、国際的にも著名な人物だということが分かったのです。
それで大前さんについてお姉さんが書いている本を読んだりしながら、
世界的に活躍している大前さんを一つの理想というかモデルにしようと
漠然と思うようになったのでした。


以上かな〜り長くなりましたが、
三つのエピソード、三人の人物を知る中で
国際的に活躍したい、そして海外と日本をつなぐ役割を果たしたいと
思うようになったのだと思います。

しかし、そうだとすると最初に考えた軸は適切では無いかもしれませんね。
posted by Jack at 14:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 就職・インターンシップ・大学院 | このエントリーを含むはてなブックマーク |
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