2009年05月20日

留学後記 この記事をはてなブックマークに登録

1年の留学が終わり、丁度1年が経とうとしています。
良い機会なので、留学について振り返ってみようと思い
文章に起こして見ました。



中学時代は本当に英語が苦手だった。
もちろん勉強するやる気はあるにはあったんだけど
テストでは良い点が取れないし、答えを丸暗記するレベルだった。
だけど、その頃からか海外に漠然とした興味を持っていた気がする。
映画(洋画)を良く観ていたからかもしれないし、
小さい頃に読んだ伝記や、遠き落日(野口英世の一生を描いた映画)が
影響を与えたのかもしれない。
とにかく、その頃はいろんな人の話が聞きたいと思っていて、
海外に行けば日本では会えないような人とたくさん話せるという
わくわく感があったような気がする。

だから、一年間の留学が義務で、大学を出るころには
生きた英語を身につけられると謳っていたAIUに興味を持ったのは
当然だったのだろう。
実際に留学に行く段となり、どこに行こうかを考えたときに
僕はヨーロッパに行こうと思った。
やはり欧米文化というか、西洋文化の発祥はヨーロッパであるし、
少なからず日本に対して影響を与えており、
国際社会の中で大きな位置を占めているのだから、
実際にヨーロッパをこの眼で見たいという思いは強かった。
決して欧州の文化が進んでいるという思いは無かったから、
明治時代の侍とは違う考えだったけれど、
欧州の歴史の重みを感じてみたかったのだ。

さて、実際に留学を終えてみてどうだったかと言うと、
頭の中の世界が広がったというのは間違いないと思う。
真白な地図に自分が行った所を書き込んでいくイメージ。
日本以外にヨーロッパが新たに自分の地図に書き加えられたような感じだ。
テレビで見たより、そして本で読んだよりもずっとリアリティがある。
想像力を働かせて、脳内でヨーロッパをイメージ出来るようになった。
しかもそれは映像だけでは無くて、味、音、匂い、
肌で感じられる風までも含まれていて、その分ずっとリアルなのだ。

自分の想像力が足りないからなのかもしれないが、
正直実際に海外に行ってみるまで本当に日本以外の国が
存在するのか確信が無かった。
そんなバカなと思うかもしれないけれど、
ヨーロッパを列車で回ってみて初めて、
ヨーロッパ大陸がこんなにも広大で、
それぞれの国が陸続きになっているということが分かったのだ。
そして、新聞の記事を読んでいてヨーロッパの事が書いてあると
つい目が止まり、今どんなことが起こっているのか知りたくなる。
そして遠いけれど近い欧州に思いを馳せる。
それは留学前には考えられなかったことだと思う。
その意味で僕のアンテナはいくつも増えた訳だ。

「世界」なんてはっきり言って自分が想像できる範囲でしか語れないし、
国際社会と言っても自分が知らない国のことは
正直真剣に考えられないのかなと最近は良く思う。
想像力を存分に働かせれば、きっと行ったことのない国についても
少しは考えられるかもしれないけれど、それにだって限界がある。
だとしても、想像力を高める必要があるのではないか。
少しでも心の中の地図を埋める努力をすることが必要なのではないか。
そうじゃないと、日本を超えた枠組みで物事を考えることが出来ないし、
そもそも今ある自分の周りの狭い周囲にまでしか
思いを至らせることが出来ないと思う。
自分が今いる地図の一点から少しでも遠い点を取って、
そこから線を引こう。

自分の「世界」を突き破るために。
posted by Jack at 02:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 留学・語学 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月18日

働くとは この記事をはてなブックマークに登録

前に『働く理由』(ディスカヴァー21)という本を買ったので、
それについての感想を今さらながら書いてみます。

昨日の雑想はこれから徐々にほぐして考えていけたらなと思います。
あれらが自分の根っこにある関心なんですよね。最近の。

筆者の戸田智弘は、働くということを、

「働く」=「お金」+「やりがい」

と定義しています。
これ自体はなるほどなと思いますが、
このやりがいというのをもうちょっと具体的に考えたいと思います。

自分がどんな時にやりがいを感じるかというと、
おそらく社会に対して自分が何らかの関係を確立出来たときだと思うんです。
これは前回の日記でも少し触れました。

つまり、自分→世間→社会→世界というつながりの中で、
自分の立ち位置を正確に把握でき、それを維持できること。
それがやりがいを感じさせるのではないかと。

その意味では、逆に自分と世界はどのようにつながっているのか
そういうことを意識させてくれる行為が仕事なのだということも出来ます。

なので仕事という言葉は、単に職場に勤めることだけに関わらず、
世界と自分の関係を構築する行為は全て仕事だということも出来るかもしれません。

そして関係を築くのであれば、なるべく自分独自の関係を築く方が良いですよね。
独自の関係を築くという意味では、やはり自分が主体的に世界に関わることが出来る
仕事の方がやりがいを感じるのでしょう。


この本はいろいろな引用で成り立っているのですが、
そのいくつかを紹介します。(孫引きになりますが)

 
 どれほど才能があって、どれほど努力をしても、それがまったく結実しないと嘆く人間がいる一方で、まるで才能もなく、ろくに努力もしていないけれど、どうも「いいこと続き」で困ったもんだとげらげら笑っている人間がいる。
 その差は、自分の将来の「こうなったらいいな状態」について「どれだけ多くの可能性」を列挙できたか、その数に比例する。
 当然ながら、100種類の願望を抱いていた人間は、1種類の願望しか抱いていない人間よりも、「願望達成率」が100倍高い。

内田樹(うちだ たつる)『こんな日本でよかったね』(バジリコ)



これは、前に日記で書いたこと
にも関わりますが、

自分の立ち位置を把握すること、

自分が大切にしていることを見つめ直すこと(→これが望む関わり方につながる)、

そして、
自分のいくつもの可能性を考え、それを受け入れ、楽しむこと

そういったことがすごく重要なんじゃないかと思います。


あともう一つ引用します。

「自分に合った」仕事など、いつまでも見つからない。な
ぜなら、彼らは、「自分に合った」仕事をみつけたいと言
う。その一方で、「自分が分からない」とも言う。つまり、
わからないものによって、わからないものを見つけようと
しているわけだ。そんなもの、見つかる道理がないでは
ないか。自分と言うものは、「わからない」のではなくて、
自分というものは「ない」のだと、一度思い知らなければ
ダメなのだ。

池田晶子『知ることより考えること』(新潮社)


これなんかは、再度になりますが、
関係に目をくれずに自分を探そうとしても無理だという話です。
その意味で、「自我」、自分らしさ、自分であること、
は関係の中にしか見出せないわけです。

それは、
人間が実体的存在ではなくて関係的存在である(p.207)
からです。



朝から何か難しいこと書きましたが、
最後にもう1個。

この道を行けば、どうなることか、
危ぶむことなかれ、危ぶめば道なし。
踏み出せば、その一歩が道となる、迷わず行けよ。
行けば、分かる。

一休宗純

(なお、本書には一休の引用としてありますが、
ウィキによると清沢哲夫の「道」らしいですね。)

「決める」こと、
一歩を踏み出すことが何より大事だと思います。

やってやるぜ!、と思わなければいつまでたっても始まらない。
posted by Jack at 07:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 批評〜書籍・映画・ドラマ〜 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2009年05月17日

雑想 この記事をはてなブックマークに登録

地域の遺伝子をみがく(普天社出版)を読んで
いろいろ考えるところがあるのでメモ。

◇家庭について

家庭は共同体の最小単位。
果たして昔から分業は存在していたのだろうか。
桃太郎の有名な冒頭である、「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に…」
は昔からそうだったのか?

そもそも一夫一妻制が主流になったのは、
4世紀に教会が相続に際して息子にのみその権利を認めるようになったからだと記憶している。
(確か文化人類学の教科書にあった。)
そして息子がいない家庭の場合、その土地は教会が没収する。

家族における夫と妻。
夫は稼ぐことによって家計を支え、妻は家事と育児を行う。
でもそれは昔のことで、今はそうした区別は無くなってきているし、
家事を機械がやってくれるようになったから、家事の負担が減った。
このまま家事の外部化(機械化)が進むと、家庭の意味が無くなるような。
残るのは育児のみ。子は鎹。
おそらくだけど、昔は今以上にお互いの助け合い関係があって、
夫婦の仲があったのだと思う。
今はそれぞれの独立化が起こっている。

また、地域コミュニティが育児、家事を支えていたが、
今はそういったものは消滅しつつあり…。
家族はどうなっていくんだろうか。

こういうことが頭に浮かんだのは、
男性の家事の機会が減ったという指摘を読んだから。
昔は日曜大工とかってあったんだけど。

◇普遍
普遍、共通というのは、一般に深いもの、真理だという風に考えていたけど、
実は普遍というのはあらゆる事象の最も浅いものなのかもしれない。

EUなんかを見てても、経済的には統合が進んでるけど、
文化的に一つになるかというとそんな簡単には行かない。
スタンダードって誰もが妥協できるどうでもいい部分という風にも解釈できる。
他のもっと根本的に共通出来ない深い部分では妥協が出来ない。

特殊、固有なものにこそ各個の真理がある。
真理とは一つしかないものではない、という考えは非常に新鮮だった。

非文字、非言語的なものは確かに存在するし、そう言った部分を意識する必要があるのではないか。

◇豊かさ
豊かさって何?物質的な充足感=豊かというのは20世紀的な考えである。
生きがいって何?自我、価値は、関係の中に生まれる。
自分の主体性を発見できる場所で生きることが出来るかどうかで、
豊かさが決まるのかもしれない。

自我の確立ってどういうこと?
自分を自分の世界との関係に捉え直してみること。
「身をわきまえる」ということか。
だとしたら人間は身をわきまえてなんかいないのかもしれない。

現在の都市は関係を持たずに生きられるようになっている…
確かにそうかもしれない。だからこそ、孤独を感じることが多くなっているのかもしれない。
旅行、ボランティアというのは新たな出会いに対する衝動からやりたくなるのかもとか。


◇権利
権利って与えられているものだという認識があるかもしれないが、
基本的に権利は勝ち取るもの。それも関係の中で。
認めてもらって初めて権利が生じる。
そのためには技を身につける必要がある。

◇大は小を兼ねる?

大きいことは良いことという考えがあるけど、
小さいことにこそ本当の良さがあるという考えもある。
ある意味誰もが認める価値よりも、一部が信じる価値に重きを置くということ。

お金が世界の価値を計るものさしとして使われているけど、それ以外のものさしを
個別に持つことが大事になってくるのかもしれない。


この先も成長し続けるというのは幻想かもしれないし、
資本主義の行きつく先に人類の幸福があるのかというと疑問。
GDPって増え続ければそれで日本が「豊か」になるのかと言われると
正直分からない。
グローバルに考えれば考えるほど、資本主義の中では
貧富の差が世界レベルで進行するだけで、一国内での貧富の差は是正出来ても、
世界レベルでそれは可能なのかというと、それを管理するシステムなんて存在しない。
発展途上国が発展するというのは、そのまま先進国が衰退することでもあるのではないか。



いやーーーー、ひどい文章だ(笑)
混乱させてしまったら、ごめんなさい…。

本来ならこういうのって公開しない方が良いのかもしれません。
posted by Jack at 20:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

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