2007年12月16日

科学への信頼とは。 この記事をはてなブックマークに登録

以前、「科学というオブラート」という記事を書きました。

そしてpoohさんにトラックバックをいただき、
エントリで丁寧に僕の記事を併せて論じられていたので(参照)、
返事の意味をこめて、再び記事を書きたいと思います。(記事内のコメントも含め)

ニセ科学に関して

まず最初に明らかにしておきたいのが、僕の立場です。
僕はニセ科学に対して批判的でもないし、ニセ科学批判に対して
否定的でもありません。

これは僕がそもそもニセ科学とは何か、ニセ科学批判とは何かという
部分をしっかりと理解していないというのもあります。
それはご指摘の通りだと思います。

そこで今分かる範囲での僕のニセ科学に関する理解を整理してみようと
思います。

まず「科学的」と言う言葉に関して。
ニセ科学が科学的かどうかということを論じるにあたり、
まず科学的とはどういう意味かが明確でないと、批判が
成り立たないと言うことにもなるので、そこはしっかりと
定義をしなければならないと思います。poohさんは、「科学的」に関し、
科学的、と云うのは「科学の手順を踏んでいる」と云うことで、その手順を踏んでいないものがニセ科学。で、科学は絶対でもないし万能でもない。

と仰っています。

これに従うと、科学の手順とは何かということになります。
それは観察や実験を通して蓄積され、洗練されてきた理論的な
知の総体系とでも言えば良いのでしょうか。

理論は実験や観察によって常に実証、あるいは反証され、
逆に理論の積み重ねによってある事象を予測し、説明することが出来ます。
ある理論群が実際に正しいと仮定すれば、それらを論理的に
結びつけることによって導き出される結論は正しいものだからです。

もちろん理論は後に新しい発見などによって反証されることがあります。
それは我々の認識に限界があるからで、またその認識は技術による
制約も受けると思います。


マイナスイオンについて

また記事中でマイナスイオンを具体例として扱ったのですが、
結果的に誤った認識を持っていたことが明らかになりました。
これは勉強不足だったと反省しています。
十分に理解せずに安易に具体例として使ってしまいました。
そしてこれが安易なニセ科学批判に他なりません。

指摘された内容を含めて改めてマイナスイオンが
ニセ科学であるとするならば、

そもそもマイナスイオンが何を指すのかが(陰イオンであっても、そうでなくても)
明示されておらず、科学的に実証しようが無い

ということになるでしょうか。
こういったものは何であるかが分からないので、反証も不可能です。
実体が無いものの持つ効果を科学的に云々できる訳がないということです。

これについて異論はありません。

また、ニセ科学が理論として存在するのではなく、
実際に実生活の中に入り込んでいるというのが
問題の根本にあるのかな、と今回感じました。
例えば明らかにばかげた理論などというのは
学会でさえも当たり前のように存在するわけで(?)、
それ自体はそこまで問題ではないと思うのです。しかしそれが本当に信用され、
実用的に使われるとそこで初めて問題になるということです。
なぜなら、実際にそれを信じることによって害が生じる
可能性が出てくるからです。

この「実生活」や「身近な」というのがニセ科学を考える上では
欠かせないキーワードなのではないか、と思います。


科学への信頼性

また、前の記事で中立的に書こうと
(というか、漠然とした対象を想像して書いたのがまずかったのですが…。)
あまりにも注意しすぎたため、本来僕が言いたかった主張を
十分に伝えることが出来なかったと反省しています。

僕は今回ニセ科学やそれに関する批判などについて知り、
また考えるにつれて、その背景にある盲信性に目がいきました。

そしてそれはニセ科学だけに留まらず、物事を判断する上で
誰もが突き当たる問題なのではないかとも思いました。
なのである意味これは自らに対する忠告のようなものでも
あったのです。

ではなぜ科学において盲信性があるのかというと、
そこにはまず科学に対しての信頼があるからです。

信頼性がどこから来るのかと言えば、
科学が実験と観察によって裏打ちされ、また、
常に反証可能であり、poohさんの言葉で言えば、
「ビルトインされた誠実さ」と言う事が出来るかもしれません。
科学が信用に足る、と考える理由は、そこに自らを疑いつねによりよいものとして更新していこうとする懐疑が常在しているからだと思う。これを「ビルトインされた誠実さ」と捉えてもいいのではないか。これは必ずしも自然科学だけではなく、社会科学にも、人文科学にも内在されている原理だ。

このことについては確かになるほどなと思いました。

信頼性っていうのはいろんなところから生じると思います。
例えば権威。教授や専門家だと聞けば、この人は信用できる
と思うはずです。これは発言者への信頼性ですね。

また、マスコミなどにも権威があると思います。
例えば新聞に書いてある記事なら信用性が高いと判断します。
(ここでは信頼性=信用性で使い分けに大した意味は無いのでご注意を)
それは誰が書いているかではなく、どこに書かれているかということです。
他にも「エコノミスト」に書かれている記事は信用するとかですね。

また内容に関して言えば、論旨が論理的であることや、
根拠がしっかりしていること(科学的な根拠などです。)が
挙げられると思います。

ということで考え付く限りだと、
(1)誰が、(2)どこで、(3)何を発言したのかで
信頼性が左右されるのではないかと。

この三つは相互に関係したりしているので、区別するのは難しく、
それを一々判断するのは労力がいる作業なので、
ある程度の妥協は必要な気がします。そこらへんは難しいですね。

科学に関してのみ言えば、
「ビルトインされた誠実さ」というのは考える価値がありそうです。
これについては再考したいです。


言説の有用性について

ではあまり一般的なことを考えても仕方が無いので、
科学だけでなく、こういう盲信性というか、
権威への信頼性みたいなものに対応するときにどうしたら
良いのかを考えてみたいと思います。

以前書いたのはその盲信性と相まって、その背後にあるかも
しれないイデオロギーなどに気づかないことが問題だ、ということです。

一つの対応方法としてはpoohさんが仰られているように、
コモンセンスで見極めるということです。
これはリテラシーを磨くということにもつながってくると思います。

そしてもう一つは、僕の考えなのですが、
言説の有用性について考えることです。

その言説を信用することでどのような利益があるのか、
また逆にどんな不利益が生じる可能性があるのか、
ということを考えてみる訳です。

これはその言説の真偽を判断し辛い時に特に
役立つのではないでしょうか。


前回も具体例として地球温暖化を使ったので、
今回も使ってみようと思います。

温暖化の問題は、温暖化があるのかどうかでは既にありません。
そしてその原因としては人為説の可能性が高まりつつあります。
(まだ異論はあるようですが。)
つまり人間の産業活動が地球の温暖化の大きな原因であるということです。

で、ここまでは良いとして、その対応策と言うと、
まだ意見が分かれています。さまざまなセオリーがあるし、
経済成長を抑えてまで温暖化防止対策を行うのか、それとも
経済成長に差し支えない程度で行うべきなのか、などさまざまです。
中には人間に出来る対応策が無いという説まであるようです。

また二酸化炭素などの温室効果ガスの排出を抑えるというのが
温暖化対策の大きな一つの案となっていますが、
この方針についてはむしろ環境云々以前に各国、各産業間の
イデオロギーが強いのかなという印象があります。


もちろん包括的には考えられていませんし、考察に不十分なところは
ありますが、とりあえず有用性について見ていこうと思います。

まず温暖化対策を行う上では、温室効果ガスの排出抑制以外に、
エネルギー効率を高めることや、資源の節約などの方法があると
思います。無駄を無くすのは、経済的にもプラスだし、
コスト減にもなるので、こうした対策を進めることは温暖化以外にも
良い影響を及ぼすと考えられます。
またそれにより技術革新が進むとすれば、それも経済的にプラスでしょう。
温暖化対策が結果的に環境問題全般への対策にもなる、ということも
あるかもしれません。

一方で温暖化対策に関してはマイナス面も考えられます。
具体的にはある国や産業が不利益を被るということです。

例えば京都議定書や温室効果ガス排出の枠組みを決定する際に
問題になるのが、公平性です。

16日付けの産経ニュース【主張】COP13閉幕 日本の「環境力」の出番だ
によると、国連気候変動枠組み条約第13回締約国会議(COP13)に関し、
今回のバリ合意は、世界中の科学者を結集した「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の第4次報告を踏まえた点が重要である。すべての国が、地球温暖化は疑いないとし、対策の必要性で一致したからだ。

 対策の必要性で一致したからには、今後は実行が問われる。その際に大事なのは公平性である。先進国と途上国間、先進国間、途上国でも新興国と後発国の間の公平性などだ。京都議定書では日本が事実上不利になっている。公平性に反するものだ。

と述べています。この公平性について日本は不利だったとの指摘がありますが、
京都議定書での排出削減目標は90年比であったため、
欧州に比べ既にある程度環境への配慮で排出削減が進められていた
日本にとってかなり負担の大きいものだったのです。
また、中国やインドが排出削減義務を負っていないのも
問題視されていますが、温室効果ガスの増加は主に先進国の
発展の過程で排出されたものであり、
それに対して経済発展を抑えてまで協力する必要は無い
という主張を取っています。

さらに公平性の問題に関連して、
温室効果ガス排出削減などを通し、先進国が途上国に対して
イニシアチブと取るというのも考えられるような気がします。
産業に対して介入する口実となるためです。これを中国やインドは
懸念しているのではないでしょうか。

他に、環境問題への対策ばかりに集中し、
アフリカなどで深刻なエイズ問題やその他の今後深刻になるであろう
問題への対策のプライオリティが下がることも懸念されます。


このように言説を直接判断するのが難しい場合、
それを信用し、あるいは採用して行動する際に、
どのような有用性があり、またどのような不利益を生じる可能性が
あるのかを考えてみると良いのかもしれません。

もちろんニセ科学というのは多くは注意して
科学的かどうかを見極めることが出来るとは思いますが。


以上長くなりましたが、
ニセ科学や科学的の定義などに不十分な部分があれば、
コメントなどで教えていただければ幸いです。
posted by Jack at 05:21 | Comment(20) | TrackBack(1) | 時事・社会 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

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