2007年11月30日

文化人類学という学問 この記事をはてなブックマークに登録

大学で半年間文化人類学の授業を
取ったことがあります。
プレゼンを毎週のようにやらされて
すごく大変だったのですが、同時に
考えさせられるテーマがいくつもあり、
とても充実した授業だったと思います。

文化人類学でどのようなことをやるのかを
ちょっと説明する機会があって、
せっかくなので勉強したことを少しだけ書いてみます。
出来るだけ分かりやすく書くように頑張りたいと思います。


<文化人類学の学問的な位置>

まず文化人類学の位置づけについてですが、
人類学
の一つの分野で、また、社会人類学と呼ばれることもあります。
日本では民族学、あるいは民俗学という呼び名の方が
一般的かもしれません。(※1)

人類学は一般に大きく四つの分野に分けられ、
自然人類学形質人類学)、考古学言語学文化人類学
となっています。

自然人類学は、進化論や霊長類の研究などを考えれば
人類と関わってくるし、考古学はエジプトの遺跡発掘などや
有史以前の研究、言語学では人類を知る上では欠かすことが出来ない言葉、

そして最後にこれから紹介する文化人類学が人間の築き上げてきた文化を
研究対象とするわけです。

一言で文化人類学がどのような学問かを説明するのは
とても難しいのですが、基本的に人間の文化や社会を総合的に

研究する学問です(そのまんまですね 笑)


<文化人類学の研究手法>

授業の前半に勉強したのが、
文化人類学者の研究の手法のようなものです。
もちろん基本的に文化を研究するわけですが、
研究方法としては大きく二つあります。

一つは民族誌、あるいは民族誌学と呼ばれます。
これは主に、フィールドワーク、つまり実地に研究者が赴いて
ある特定の文化を観察して、それを民族誌という記録にする方法です。

一つの文化を研究するとしたら、テレビやその文化に関する本を
読むよりも実際に現地に行ったほうがより価値のある研究が出来る
訳です。「百聞は一見に如かず」と言いますがまさにそのとおりです。


もう一つは、民族学です。
はっきり言って言葉的に混乱してしまうと思いますが、
上手い日本語訳が無いので、ひとまずここでは
文化人類学の一部としてこういう方法があるという意味で
この言葉を考えてください(※2)

ではこれは何をするかというと、民族誌を元に
文化比較などをして研究することです。これによって
文化一般に関する理論などを考えていくわけです。ということで
どちらかと言えば科学的なアプローチですね。

以下で僕は民族誌学の方を主に考えたいと思います。
なぜならそちらのほうが興味深いからです。


民族誌学としての文化人類学

文化人類学を考える上で重要なのは、その発展です。
そもそもこの学問が主に西洋文化では無いものを研究対象にしてきた
というのをまず頭に置いておくべきです。

想像して言うなら、大航海時代、植民地時代を経て、
西洋とは明らかに違う文化が明らかになり、
その文化に純粋に興味を持つ学者が出てきたということです。

これは、僕たちがテレビで「世界ウルルン滞在記」を観て、
こんな文化があるのかと、興味をそそられるのと
同じ動機であったと思います。

言葉にして言えば、エキゾチックな文化。

オリエンタリズムというのは、東洋風のとか訳されますが、
これもある意味その流れとして考えられます。
西洋人が東洋の神秘を感じるということですね(笑)

それで実際にその文化を研究するためには
現地へ行って観察・体験するのが早いのですが、
フィールドワークを進める上でそこでいくつかの問題が出てきました。
そしてその問題に対処することで調査手法を発達させてきたわけです。


一番大きな問題としてあったのが、
自民族中心主義、あるいは自文化中心主義です。

西洋人から言わせれば、白人文化が優れているという考えですね。
この学問が発達し始めた段階ではこの研究に関わっていた
学者が多くが白人であり、研究対象が悪く言えば「未成熟な」文化、
「野蛮な」文化と考えたのでした。
これは先ほど言ったように「世界ウルルン滞在記」とかでやってる内容
を観て、生活面では衛生面、あるいは機械類が無いし、技術的に
「劣っている」という風に感じるし、「汚い」とか、「変な」食べ物
を食べていることに驚いたりすることを考えれば分かるでしょう。

また、白人はアフリカや南アメリカなどの「野蛮な」文化を知る過程で、

白色人種が人類の進化の段階の上で最も優れた人種である、
そして黒色人種や黄色人種は劣っており、我々が導いていかなければ
ならない

という考えを発達させました。
更にはそれが植民地侵略の動機の一部になり、皮肉なことに
文化人類学が、この考えに学問的な担保を与えてしまったのでした。

しかし、実際にはそれらの文化自体が劣っているわけではありません。
そして文化に優劣を付けることは争いの原因になることは歴史が
示す通りです。


自らの文化が優れていると考える見方は
なかなか捨てられるものではありません。
自分の暮らしてきた、慣れてきた文化とあまりにも違う、
だからそこで拒否反応が起こったり、冷静に観察が出来ないことが
しばしば起こります。

バイアスのかかった見方をしてしまうのです。

さらに言えば、
もしその文化に否定的であれば、反応として出てしまうものだし、
そこに暮らしている人々もその研究者を受け入れてくれないでしょう。

研究なので出来るだけ客観的に観察し、記録する必要があるのですが、
そういった意味で問題が出てきました。


また、その文化をしっかりと研究し、記録するためには
実際に研究者自身がその文化へと適応する必要があります。
これは簡単に例えば、よその家庭を良く知るためには数日泊まっただけでは
分からないのと一緒で、根本にあるいろいろな価値観や暮らしぶりなどを
「深く」知るためには時間がかかるのです。
そこでもやはり問題が出てきます。

やはり生まれてずっと慣れてきた文化から別の文化へと移り、
その文化を客観的に捉えるというのはなかなか容易なことではありません。

カルチャーショックというのを海外では誰しも経験すると言いますが、
(もちろん僕も軽い程度のカルチャーショックは受けました。)
自分の文化と新たに経験する文化の違いが大きければ大きいほど
その度合いは強いものになるそうです。
生活面だけではなく倫理感や宗教観の相違などいくつもの困難があります。

極端な例だと、さっき言った「世界ウルルン滞在記」で、
ある人がアフリカの僻地に行ったというような場合を想像すれば分かる
のではないでしょうか。食生活は違うし、住み心地が良いわけがありません。


そこでどうすればいいのかということですが、
おそらく出来るだけ自分の文化に囚われないようにする、
そして具体的には多くの文化を経験し、視点を相対化する
以外に無いと思われます。
(これが文化相対主義ですね。)

だから研究者は研究までに他の文化を経験している人が
適しているとも言われています。


また、実際にその社会に溶け込む方法として面白いのが、

研究者は出来るだけ赤ちゃんのように、つまり
何もかもを新しいものとして捉える(=偏見が無い)ことによって
客観的にその文化を研究するという方法です。

あるいは、何でも書き込める白紙のように新しい文化に向かうと
言っても良いでしょうか。

全てを新しいものだと思い、興味を持って質問していくという
態度でもあります。また好意的、興味があるほどその文化にいる
住民の態度も良くなるし、心を開きやすいと思います。


こんな感じのことを授業の前半の方ででやりました。

大分長くなってしまいました。
内容について入れませんでしたね(苦笑)

また機会があれば実際にどんなことを
具体的に勉強したのかを書きたいと思います。



余談ですが、
有名な人類学者として、
『菊と刀』(原題:The Chrysanthemum and the Sword)を記した
アメリカ人のルース・ベネディクトがいます。
彼女は日本の文化を西洋の文化と比較して日本の文化を
明らかにしようと試みました。
しかし、当時の状況もあり実際に日本へと赴くことは出来ず、
内容についても批判が出ています。
それでも名著として読む価値はあると思います。

ちなみに僕はまだ読んでいません(苦笑)
しかし、『武士道』とともに留学中の大学からの指定図書でもあるので
是非読んでみたいと思います。


そういえば、日本の文化ということで思い出したんですが、
サミュエル・ハンチントンが『文明と衝突』という本で
8つないしは7つの文明があるとし、その中で日本を文明の一つとして
あげています。

具体的には
中華文明(儒教的な文明)、日本文明、西欧文明(キリスト教的)、
イスラム文明、ヒンドゥー文明、東方正教会文明(Orthodox)、
ラテンアメリカ文明、アフリカ文明、
そしてそのどれにも属さない文明です。
これを観ると大きくは地政学的な面と宗教分布的な面の
二つが大きく分ける理由となっていますね。


※1、僕のイメージでは、民俗学がどちらかと言えば
研究手法(民族誌やフィールドワーク)もそうですが文化人類学に
近いと思っていたのですが、どうやら民族学が対応するようです。
どちらかと言えば民族学の方が調査法もですが科学的なのかも。

ちなみに民俗学で有名なのは折口信夫(しのぶと読む)や
柳田國男です。

※2、英語では前者がEthnography、後者がEthnologyとなっており、
文化人類学=Cultural Anthropology、民族学=Ethnologyで、
実際には文化人類学と民族学は区別されるべきなのですが、
混用されています。とりあえず民族学は広い意味での文化人類学
の一部分だと考えて欲しいと思います。

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posted by Jack at 07:58 | Comment(2) | TrackBack(0) | 大学・学問 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2007年11月27日

原石と挑戦〜それにつけて考える職業観〜 この記事をはてなブックマークに登録

今日、期末試験のエッセイをやらなければいけないのに
『耳をすませば』とか観てしまいました。

そろそろ手をつけないといけないんですけどね。
でも運よくセミナーで書いたエッセイがファイナルとかぶっていたので、
あとはそれに更に細かい部分を加えて質を高めるだけなので、
がんばりたいと思います。


この映画を観るのはたぶん5回目くらいなのですが、
毎回観るころには都合よく、大分ストーリーを忘れているので
いつも感動しますね(笑)

有り得ないことが起こるとか、心理描写が稚拙なんて批判する人も
いるかもしれませんが、リアルさなら別の小説に望めば良いし、
ストーリーは素晴らしいと思います。目を離す暇が無いというか、
わくわくするのが止まりません。特に後半部。

あ、ちなみに立花隆が雫の父親役の声優だというのは
最近知りました(笑)



この映画で今回思ったのが、
原石と挑戦です。

聖司のおじいさんが雫に原石を見せてこんな話をします。


この原石の中に見える大きな部分は、
実は磨いても大して輝かないものなんだ。
それよりもその奥に見える小さな部分の方が
きれいで磨けば美しい宝石になる。
しかし見えない部分にもしかしたらもっと素晴らしい部分が
あるかもしれない。


これを聞いていて、
ああ、そういうこともあるかもしれないと思いました。

得意な部分、いわゆる才能のある部分を延ばして
それを仕事に結びつけるというのが僕の就職のイメージにはあって、

これから数年もしないうちに仕事に就職するわけで、
出来るだけ得意な部分を活かしたいなとも思うわけです。

それで最近僕には何が向いているんだろうとか
何が得意だろうかということを考えます。
ではどんなことあるかといえば、
まず考えることは得意かなと。それにものを書くのは好きというのも
あります。もちろん小説を書いてみようとかは思いませんけど。
あとは器用なところくらいでしょうか…(笑)


でも、今回の話に照らしてみると、
じゃあそれが今一番大きく見えるからって
それを磨いても実はあまりたいしたことなかったらどうしよう、
小さく見える部分がもっと輝く価値のあるものだったらどうだろうか、
そんなことを考えてしまいます。


自分の中にある一番きれいな原石はどれだろうか。


それは分かりません。
ですが、磨いてみないことには分かりません。

また、磨いた石が宝石となるというのは、
社会で役に立つこと、つまり社会に認められる価値のあるもの
だということでもあります。


じゃあ試してみようということです

作品に話を戻すと、雫はバイオリン職人を目指す聖司を見て
焦りを覚え、物語を書いてみようと決意します。
自分を試してみたいと言うわけです。

挑戦ですね。


で、僕は今何が出来るだろうかって考えたときに、
まず一番最初に頭に浮かんだのが、文章を書いてみよう
ということです。たまたま雫とかぶっているわけですが、
とりあえず考えたことを形にしようと思いました。

それでちょくちょくブログでいろいろ書いたりしてます(苦笑)
ブログを始めて半年くらいですが、気づいたのは、
他にもたくさんの優れたブロガーがいること。そして、
そのレベルを目指すには今の知識ではなかなか追いつかないな
ということ。読書量の不足もありますね。

本来なら留学中にこんなにたくさん日記を更新してるのは
おかしいのかもしれないんですが、そういうのも理由であったりします。

もちろん英語だってもっと上達しなきゃいけないので、
いろいろすべきだとは思うのですが、もともと国語力も無いといけないなとは
感じていました。それに国語力が無いのに英語が上達するわけないはずです。
昔英語の先生に言われたのが、同じ英語力でも、
国語力のある方が伸びるということです。高校の友達で理系なのに
僕より格段国語力が高い人がいたんですが、その人は英語が苦手でした。
だからもしかしたらその説は正しくないのかもしれませんね(笑)
将来的には英語でもしっかりと学問的にもしっかりと使えるレベルには
なれたらいいと思っているので、今国語力も一緒に高めようとしているのは
無駄ではないかなと(これって自己肯定なのかな?)


これも一種の挑戦だと思っています。
ただこれと言った目的というか目標が明確にないので、
それは見つけないといけないんでしょうね。
あえて言えば読まれる価値のあるようなものを
書き続けていこうということでしょうか。すぐに
成果が分からないのでややつらいですが、がんばりたいと
思います。

じゃあその先にジャーナリストとか新聞記者があるかと言われれば
どうなんでしょうね。非常に難しいところです。



なんとなく就職をしたら蚊取り線香みたいに
そのままずーっといっちゃう気がして、それまでにはしっかりと
考えておきたいというのもあります。

ですが、適職があると言う風には僕は考えていません。

イメージとしてはパズルのピースがぱちっと
はまるような。


でもそんな場所は実はどこにもなくって、自ら形を変えていかないと
だめなんじゃないか。

そういうことです。


適性とかそういう類のものも、可能性としてそっちの方面もあるんじゃないのか
というのを示してくれる参考にはなりますが、
それ以上の意味は持たない気がします。


内田樹さんのブログで以前適職、適性ということに関して
書いていたのを読みました。(参照

日本の高校や大学でキャリア教育が行われるようになったのはこの10年ほどのことである。
そこでは「自分の適性にあった仕事を探すこと」が組織的に勧奨されてきた。
そういう教育を10年やったら、離職・転職を重ねる“ローリング・ストーン族”、フリーター、ニート、「自分探しの旅人」ばかり増えてしまった。
<中略>
[リクルートによって](※筆者)若者たちは「この広い世界のどこかに自分の適性にぴったり合ったたった一つの仕事が存在する」という信憑を刷り込まれる。
もちろん、そのような仕事は存在しない。
だから、「自分の適性にぴったり合ったたった一つの仕事」を探して若者たちは終わりのない長い放浪の旅に出ることになる。
<中略>
この思考は「自分の個性にぴったり合ったたった一人の配偶者がこの世界のどこかにいる」という信憑と同型のものである。

内田樹の研究室「人生はミスマッチ」より

適職、あるいは天職という言葉がありますが、
その言葉に引きずられることによって、
そういうものがあると信じてしまうということです。
ですが現実には、
そのようなものが存在するのではなく、
自らが能力を磨いて、

ふさわしい「ピース」になるわけです。


どこかのピースになるのであれば、僕は、

「最高」のピースになりたい

と思っています。


これについては、R25でインタビューを受けていた
福井晴敏が昔を振り返って、
「求められる場で、自分の力を発揮するのが楽しかった」
また、
「最高のネジやエンジンになってみせるところが、一番面白い」
と言っています。

これは僕の考えにかなり近いのかもしれません。

じゃあどこのピースになるかというと、
それは迷うところ。


それをこれからは考えていかないといけない。
そしてその為にはより社会を、世界を知らなければならない。

難しい問題です。




Amazon


耳をすませば

これは見せなくても誰でも知ってるか(笑)

今日は窓からおぼろ月(満月)が見えます。
そういえばこれに出てくる猫もムーンって言ったっけ。


ついでに最近読んでる『俺たちのR25時代』も。
福井晴敏さんのインタビューもこれで読みました。
2種類書店にあったんですが、両方買って、片方は
友達にプレゼントしました。
楳図かずおさんとか石田衣良さん、武田鉄矢さん、糸井重里さん
なんていう人たちが出ていて面白いです。
Amazon

俺たちのR25時代 (日経ビジネス人文庫)

posted by Jack at 06:07 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

2007年11月24日

ノルウェー留学記〜From 成田 to Copenhagen〜 この記事をはてなブックマークに登録

今までもブログで写真を少しは載せていたんですが、
アップロードに時間がかかったりいろいろと面倒だったので
あまり積極的に使いませんでした。ですが、写真をアップすれば
それだけいろんなことが伝わると思うし、これまでの半年間を振り返る
意味でも、時間を見つけて少しずつ写真を載せながらどんなことがあったのか
解説していけたら面白いかなと思いました。それもブログライターを利用する
ことで可能になります。写真も簡単にアップできるのでテストを含めて
使ってみようと思います。
では早速成田からベルゲン、つまり日本から僕が始めて海外ノルウェーへと
出発してからをハイライトで(笑)説明します。Are you ready?

朝から成田へと両親に車で乗せてもらいながら、あれは持ったか、これは必要でないかなどなどいろいろと話しつつ、出発前に携帯で留学する旨を伝えるメールを打っており、それに対する返信を出来るだけしようと思っていたのだった。

と言っても、携帯は解約せず(ソフトバンクで機種変更をして半年も経っておらず、海外ローミング機能つきだったためでもある。)持って行ったのだが、こっちでは圏外でただの時計機能を持ったデバイスに成り果てている…。これは失敗だと言わざるを得ない。

ちなみに携帯に入っているチップを移して別の携帯に入れれば使えるのだけれど、電話もしないし、メールも必要ないのでそのままにしている。
写真は全く関係ないが、横浜そごうの屋上にある岡本太郎の作品だ。(たぶん本物)



成田空港に着くころには、見送りに来てくれる友達が成田に着いていて、
今どこ?というメールが向かう途中に何度も来て、もう少しかかりそうだ、
と出発までに果たして間に合うのかどうか心配だった。
成田に着いたらスーツケースと旅行かばんを持ち、早速チケットを持って
空港窓口へと向かった。その窓口に向かう前には友達と出会い、
とりあえず再会の感動を味わう余裕も無く荷物を預けたり、手続きを済ませた。


両親だって俺が海外に行くのが初めてだし、何となくそわそわしていた。
それを見て逆に何とかなるって、という風に落ち着いて振舞っていた。
家族と一緒になって俺まで不安になっても仕方ないし、そうする暇も無かった。
基本的になんとかなるだろうという楽観的な性質(たち)なので
本当にそこまで心配はしていなかった。もちろん後になって準備が足りなかったと
嘆くことになったが、一度も海外に行ったことがないし、準備が完璧に出来るとも
思っていなかった。

出発までの準備では家族にお前は準備が足りないといつも言われていたが、
こっちに着いてから他の留学生に、良く準備してきているんだね、とか
何でも持ってきてるんだな、などと言われたので、要らない心配だったのだとも
思う。もちろん最低限のお金が無ければ問題ではあるが、少なくとも
自炊も出来るし、ある程度のことは一人で出来るのである種のチャレンジのように
楽しもうと思っていた。


次に手続きを終えたのも束の間、次は為替で
日本円をノルウェークローネに換えた。向こうの銀行口座にお金を
入れてあるのだが、最低でも当面必要なお金は手元に持っておくためだ。
ノルウェーは知られていないかもしれないがEUに加盟していない。
北欧と言えば、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、フィンランド、
アイスランドの五カ国で、そのうちノルウェーとアイスランドはEUに入っていない。
(これについて論ぜよというのがこれからある「スカンジナビアの政治」の
期末試験のエッセイの課題でもある。)
更に、ユーロを導入しているのはなんとフィンランドだけである。
ということでノルウェー、デンマーク、スウェーデンそれぞれの硬貨は
クローネだ。ちなみに当時で1ノルウェークローネ=約22円だった。
現在はドル安の影響を受け約20円である。もう少し円高が早かったら
なんて思ってももう遅いが。


そうこうしているうちに出発の時間が迫り、
友達には大学のサークルで書いてくれた寄せ書きと、
手紙をもらった。
それを受け取りそのまま両親とも別れを告げて搭乗ゲートへと向かったのだった。


後からその友達に聞いた話だが、その友達は僕の両親としばらく話したらしく、
また、不安になっている両親(むしろ俺ってそんなに頼りないのかな?とも考えたり)
を大丈夫ですよ、となだめてくれたらしい。そのことにはとても感謝している。


ということで早速興奮と不安(どうなっちゃうんだろうという先の見えない気持ち)
どちらも感じながら座席へと座る。飛行機には何度も乗ってきたが、海外への
飛行機はかなり違っていた。まず驚いたのがフライトアテンダントが外国人で
あること。スカンディナヴィア航空を利用したのだが、ANAと飛行機を共有している
らしく、日本人のスタッフもいて少し安心した。というより最初に驚いたのは
乗客の多くが外国人であったことだったか。そして俺の座席は窓側だったので
ラッキーと思いつつ、隣も外国人で少し不安だった。

ちなみに窓側は長時間の航空ではトイレに行けなかったりするので実は不便な
座席である。これって常識だったり?


その後もいろいろとあった。久しぶりに機内食を食べたし、
座席の前に付いているディスプレイで映画やスポーツを観たりetc。
ちなみに映画はスクービー・ドゥーというパロディ的なもので
英語はかなりスラングが強くて聞き取れなかったが、分からなくても楽しめる
類のものなので問題なかった。スポーツはひたすらツールドフランスで
アームストロングの特集だった。そしてもらった手紙を読んだりもした。
やっぱり手書きの手紙というのはうれしいものだ。


で興奮していたのもあるがあんまり寝られなかったが、とうとうコペンハーゲン空港(デンマーク)に着いた。

着いたのが日本を11時40分に出発したのに3時ごろ。もちろん日本の方が時間が早いので4時間で着いた訳ではない。

だいたい10時間くらいはかかったのではないだろうか。

そして残念なことにコペンハーゲン―ベルゲンは8時30分発というかなり遅いものだったのでかなりまたなければならなかった。

写真は空港のロビーで、ここで座って時間をつぶすことにした。不運にもパソコンの電源が切れており、本や雑誌を読んだ。

なんとなくデザインが北欧っぽい感じがして、うれしかった。


また近くにはセブンイレブンがあり、日本以外にもあるのかと驚いた。しかし来る前に新聞か何かで読んだのだが、セブンイレブンの店舗数は、世界でマクドナルドを抜いて一位なのだ。

ちなみにノルウェー市外にもセブンイレブンは日本と同じくらいの割合である。

ここでちなみに海外初の買い物をした。値段が書いてるものについてはなれないなあら計算して、コーラが500mlで300円くらいするのにびびったし、あまりお金を使いたくなかったのだが、のども渇いたし腹も減ったので、何か買うことにした。

何しろクローネを使えるのかも分からないのでとりあえず聞いてみるとどうやら使えるようだった。



それで買ったのがこれ。

スパイダーマンのカップでジェラートみたいなのを注文した。

お釣りをもらったのだがレシートをもらうのを忘れ、結局どれくらい払ったのかも分からないし、お釣りも何クローネあるのか分からず困った。後から分かったのは、たぶん少しちょろまかされたということだ。

これを機に、お金には強くなろうと決心したのだった。

しかしとにかく始めての買い物が成功したので安心し、もって来ていたクーリエ・ジャポンという雑誌や、『海がきこえる』を読んで時間をつぶすした。

写真は入れ物は捨てるのは勿体無いし、記念に持って来た。

ということでここからコペンハーゲン―ベルゲンへと続く。

こんな感じで続けようと思っています。どうでしょうか?

おまけ。アマゾン・アソシエイツというのを練習がてら
使ってみようと思います。本の表紙も出てきてすごく便利ですね。

 Amazon

海がきこえる (徳間文庫)
『海がきこえる』は、ジブリによって映画化されたので
ご存知の方も多いかもしれません。

一応ブクログ(右のリンク参照)でも感想は書いたのですが、
DVDを友達と一緒に観た時の印象はかなり良かったです。
独特の土佐弁の響きが心地よいというのもありますが、
結構深いです。宮崎駿監督の映画だと、登場人物の心理描写は
誰にでも分かるもので、悪く言えばリアリティに欠けるという面もあります。
(もちろんそこが宮崎作品の良いところでもあるのですが。)
それに対してこの映画は、原作者が女性だということもありますが、
人間関係や心理描写がすごくリアルです。

で、もっと作品世界を味わいたいと思って小説を手に入れました。
原作はこれと、更に「海がきこえる II」があります。

是非機会があれば読んでみてください。
空港でも時間待ちの時に読んでいたのを思い出したので紹介してみました。
中古でも良いので是非!

posted by Jack at 15:35 | Comment(4) | TrackBack(0) | 留学・語学 | このエントリーを含むはてなブックマーク |

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